ラブイズオンライン

つぶやき、料理、日記など

贈り物の哀しさと老いの哀しさといじらしさと惨めったらしさ

もう何度も書いてることだけど、買い物をすることは寂しいことだと思う。一人で買い物に行って必要なものを買っていくのは普通前向きな作業な気もするんだけど、他の人たちと一緒にするときのようにわいわい楽しさに紛れて自分の欲求とか寂しさを紛らわすこともできない。「ああわたし、これが欲しいんだ」とか、「ああわたしにもいよいよ、こんなものが必要なんだ」といちいち思わさる。生理ナプキン、バンドエイド、栄養ドリンク、週刊誌、友達と分け合うためのガム、ああ、なんか寂しさに息止められそうになって来る。1日を生きるごとに摂取する食べ物の量も、情報の量も膨大で、それに伴って捨てるもの、さようならするものも膨大である。「巣篭もり」したいみたいな願望もある。今日はいい天気で、一日中ひまで、自由で、体も元気で、これから出かけるんだけど掃除してみるか、って思って始める掃除の中に入り込んじゃうとやたらとハイになってくる。もっともっとあれもこれも必要だ!って思えてきて、そういうときは生とかへのパワーが全てプラスの方向へ働いてる時なのかもしれない。そういう気分に乗れたらいいけど、でもたいがいやっぱり買い物っていうのは寂しい。「生きてる」ってこと、それに伴うこんなにもいくつもある成仏されない行為、そういうものを例えば結婚式で発進するリムジンの、後ろに結び付けられたガラガラみたいに皆がくっ付けて歩いてるのが見えてしまう。笑って、笑って、もっと笑って欲しい。そうでないと寂しすぎてわたしは授業中なのにかかわらず一目散にトイレに駆け込む女子高生に戻ってしまいそうだ。
なんだかここには少し自然光が少な過ぎるんじゃないかと思えてくる。

 

 

六人の孫を持つ祖母はけん玉を六つ買う家に犬を待たせつ(この短歌を作った後でおさまんなくなって書いたブログです。何故私は毎日同じことばかり書いてるんでしょう。)