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出したの、お前だろ

今日仕事をしているとき、不意に素の自分が出てくることがあった。仕事場では、っていうか外では、自分が対峙しているのが「ひと様」という認識があるから、とくにに猫を被ってたり必要以上にへりくだったりしている意識があるというわけでもないのだけど、けどそういう理由から自然と背中がぴしっとしてしまう感じがある。だからわたしの外でのアイデンティティは「真面目で大人しい人間」であると思う。人畜無害、いてもいなくてもいい、でも「やなやつ」ではないよねー・・だと思う。多分。だから人に声かけるときもお母さんが電話にでるときくらいちょっと高めになっているし、返事も「はいっ」て答えてる。それなのに今日不意に、身内でいつも使っている「ハア?」っていう返事が口をついて出てしまうことがあってまじでギョッとしてしまった。その場では雷をうけたかのごとくショックをうけたあとで笑って誤魔化したんだけど、あの時のわたしの気持ち、なんだか正装して行ったパーティの場でバッグを開けたら小汚い靴下がごっそり出てきたみたいな気分で全然笑えなかった。てゆうか、笑いになってるんならいい。「うわっっ、、」ってちょっと思われただろうなあ・・。

 

何だかそんなことがあって、自分のなかの「なか」「そと」の自意識、知らないうちにこんなに区別をつけていたんだなーってことに気付かされて、やましいところがあるわけでもないんだけど、真実が突拍子もなく生まれ出たかのように自分が汚い人間であるように感じられてきた。そうだ、外でこんなにカッコつけていてもわたしは家では単なるオッさんじゃなかったか。とにかくそれくらい油断していた「ハア?」だった。ちなみにこれはクソ忙しいのに声を掛けられた時などに、細かいことを考えるのも面倒くさいのだがとにかくもう一度言う気があるなら言ってみろ、みたいな、発言すべてを一網打尽とするような「ハア?」である。

 

しかし素とか外ヅラとかいうけど皆それをどのように意識してるんだろう。わたしは他人からするとなかなか猫を被ってるように見えているらしく、けどもともとからしてあまり発言を要としない性分なのであるから親しい人からも「しゃべれ」みたいなことをよく言われる。その人たちに言いたいのだけど、わたしだって目の前にいるのがお前ではなく気の合う人間相手とだったらもっともっと喋るのである。「ただ」・・・まあいいや。で、学生のころののバイト場でも「もっと素をだしてみて。わたしたちも普段から素でやっているから」と呼び水とともにうながされたことがあったんだけど、その時は正直いって「何をいってるんだこいつは」という感想しか抱かなかった。
普通に、家と外は別モノだと思う。わたしだって家では鼻くそだって掘るし足も常に百三十度ぐらい開いた状態でもいる。それが一番心地いいからだ。素ってのはつまりそれだ。「他人の目」を視点に置いてない状態である。私も気を抜いているときはうるさいものに「うっせー」というし、かわいいものに「かわゆいんかわゆいん」ってしたりしているがそれを外の人に見せるわけになんかはいかない。そのことを当たり前としか思えない。そもそも素でいるひと、素がいいと思っている人に対して「この人、気持ちのいい人だなー」って思ったことなんてのは一度たりともなく、そういう人間てのはこっち側の調・不調に関わらずいつでも・どこでも・朝から晩まで・勝手に怒ったり悲しんだり喜んだりほぼ気分で行動するしあげく自分の話しかしないし、つまるところ突き詰めれば周りの我慢の上にあぐらをかいて生きているようにしか見えなかったのだった。
そう言う自分は母親にすら素で接したりなんてしない。もしも素で接しようもんなら話の半分以上を聞き流してマンガを読んでるか昼寝をしていると思う。っていつか、ここまで書いててなんだか分からなくなってきた。「なんなの?素って?」素って自由な状態のこと?本当のじぶんのこと?・・・・・

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まあそんなこんなで、自分のわがままを出せる場、それを許してもらえる場なんてのは家族以外にそうそうないはずだと私は思ってしまう。そもそも仕事場で素を出す必要なんてあるのだろうか。