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服を着た猿

ファッションについて

 

ファッションに対して「面倒くさい」という考えをずっと持っていたから、それを意識するようになったのは必要に迫られてからだったと思う。ファッションが面倒だなあって思うのはそれが一つだけでは決まらないってとこにある。靴だけ買っても上がダサければなにも変わらない。上を買っても下が古いまんまだとだめ。ファッションが決まってても髪の毛がダサければだめ。雑誌に載っているひともしくは街を歩いてるようなまともに見える人になるまでの「トータルコーディネート」という道のりがあまりに遠すぎて、それを考えただけでおしゃれ初心者というのは「超〜〜めんどくせえ〜〜」ってなってしまうのである。ある意味短絡的だともいえる。けど全部揃えてくださいって店員に頼めるほどの度胸もない。あーだこーだ考えたあげく「ま、いっか」ってなって結局せっかくある10000円でゲームソフトを買ってしまったりするのである。

恥ずかしながら自分にその必要性がうまれたのは大学に入った頃だった気がする。大学に入ると制服というものを着なくなるので、毎日自分で買ったものを着なくてはならない。あの頃のことを思い出すといまでも胸のあたりが苦しくなってくる。どう考えてもサイズの合わないジャケットを着ているのに、店の人から「ジャケットでシックに決められてるようですし(この香水いかがですか?)」と言われてそれがお世辞なのか、本意なのかすら分からなかった自分は滅茶苦茶に世間から舐められる存在だったんだと思う。私立の高校受験の時にものすごい分厚いパーカーを着ていった。箪笥に埋まってたやつである。わたしが席に座って参考書を見ていたとき話しかけてきた幼馴染の子を久しぶりに見るとハイヒールとタイトスカートに化粧ばっちりという出で立ちだったから私は私自身に対してけっこう恥ずかしくなってしまった。海と間違えて銭湯にきてしまったかのような・・その事をあの時着ぶくれて汗ばんでいた記憶と共に思い出すのである。

 

二度目のファッション改革は彼氏が出来たときだった。あの時、「新しく買った服を彼氏の前で着るということ」すらも何故か物凄く恥ずかしくて、だから新しいジャケットを着られなくてずっとぬいだままで脇に抱えて歩いていたから別れ際に「どうしてそれ、着ないの?」と意地悪でもなんでもなく素で聞かれて「あ、、あ、う、」みたいな感じになってしまった。いま考えても本当に意味がわからない。それでも会うたびに私たちはやりまくっていた。

 

その後社会人になってからはだんだんとわたしにもおしゃれの網の目が見えるようになって来た。1たす1は2、2ひく1は1、そういう単純なルールみたいなものである。社会人になってからわたしは目覚めたのである。目覚めたわたしは5〜7センチくらいのヒールがついたブーツを履いて毎朝通勤していた。スカートも着こなすようになった。コートには丈があって自分にどういうのが似合うのかという視点をやっと持つようになった。鞄をたくさん買った。ひとつ軌道に乗り始めると爪の先にまで神経が行き渡るようになってきたので、空いた時間にマニキュアを塗ったりもしていた。わたしは「男の目」というのを意識するようになり、だから髪の毛のヘアゴムで可愛く見えるように髪を結ったりとかもした。褒めてもらえると嬉しかった。

 

カジュアルに対する憧れのようなもの

 

その後またどうでも良くなった時期とか色々とあるんだけど、それ以外にわたしの中で自分のファッションうんぬんっていうよりも単に可愛いものを見たい、という欲求があって、その目線で他人や人形の服を見たりする時期があった。いまでも不思議なのはその目線と自分のファッションへの目線がどうにも交わらないっていうところで、だから自分自身はボロボロのスエットを着ながらそういうものを眺め続けたりしてしまうことが結構ある。その頃何故かわからないけど購読していたのが「ELLE GIRL」という外国のティーン向けみたいなファッション雑誌で、本当によくわからないんだけど近所の書店には売ってないためわざわざコンビニ受け取りで買ったりまでしていた。なぜ?一応いっておくがそれを自分に生かすとかじゃない。別に目の保養とか言うつもりもない。おしゃれに気を使いたいとかでもない。雑貨好きという精神の延長にそれがあるような気がする。そしてそういうことしていると困ったことに自分のことは何が似合うのかよく分からないのに他人のことだと「もっとこうすればいいのに」とかが「スッ」とうかんできてしまうのである。

そこに載ってるファッションはカジュアルなテイストでそれをお人形みたいな外国の子がそれぞれの個性で着こなしているのが可愛いと思っていた。あと海外セレブのゴシップもけっこう載っていたけどあまりに関係無さすぎておとぎ話のようで面白かった。

その時から十年くらいは経った。今はもうその雑誌を読むこともないし、漠然と着たいものを選んで生活していたのだけど、この間スポーツ店に行った時ジャージみたいなウインドブレーカーが三割引で売っていたのを見つけた。そこにはスポーツ衣料やユニフォームだけでなく普段着れそうな白いプリントなしTシャツも見つけた。普通の服屋だと店でみるときはかわいいのに自分が着ると形が結局ダサくみえるのだったりするんだけど、なんていうか形が考慮されているように見えた。ここにはこんなに自分の好きなものが、掘り出し物同然の値段で埋まっているのか・・・そう思うとワックワクしてしまっている自分がそこにいた。ウインドブレーカー他人が着てるのを見るといつも「いいな」って思っていたけど、どう着こなすのかよく分からなかったのでン十年くらい買っていなかった。しかしどうということはない。単に羽織ればいいのである。

 

で、そのスポーツ店でけっこう充実感をえてる時に私はやっと昔購読していた「エルガール」の存在を思い出したのだった。あっそうか・・・!やっぱり自分は見るのもだけど、着るのもカジュアルが好きなんだ・・!って気がついたのだった。自分はカジュアルが好きだし、それを着ることに別にためらう必要なんてないのだ。安い、プリントがない、目立たない、そういうのが好きなのだ。コンサバとか、大人おしゃれとか、当時流行ってたエビちゃんみたいなモテファッションもあるけど、そんなんでなく、それは突き詰めるとパーカー、ジャージ、ジーンズ、青味がかった服、あるいは黄色、絶対に白黒、そういうテイストである。
(自分の中のカジュアル感2017年)

普段ボーダーばかり買ってしまうけれどそれがおちつくから着てるのだ。それはカジュアルだからなんだ。スニーカーも(以下同文)そう考えると今まで自分のそういうせこいあるいはみみっちく思えていた癖みたいのも「カジュアル」でもって内包できた感じがして気持ちが軽くなってきたのだった。あとはカジュアルだとスタイルが良くなくてもまあ大抵似合うっていうのもあるかもしれない。とにかく私は自分のファッションの落とし所を遠回りしてやっとそういうふうに見つけたのだった。

死ね