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ラブイズオンライン

つぶやき、料理、日記など

スーツを着てるのにちゃんとしていない自分

今日、久しぶりにスーツを着る機会があったんだけど自分のスーツに着られてる感がどうしてもずっと気になってしまった。どうして私はこんなにもガニ股なんだろうか。普段ゆるい制服を着ながら仕事をしているのでこれを毎日着て仕事をしている人はきっとそれなりに鍛えられてるんだろうなと思った。周りを見回してもこなれてる人はこなれていて、それが所作にも現れているように見えた。スーツはただの衣服ではなかったのだ。スーツに染まった時ほど自分の言動が気になることはないと思った。なんていうかスーツを着ている「のに」家にいるときのそのまんまで喋ったり動いたりしているととにかくだらしなくうるさいババアでしかなく、スーツを着てしまったからにはちゃんとしなきゃいけないという精神がとたんに出て来たりして、こういうのを経て、ほんとうは皆大人になっていくんだなあと思った。スーツをたまたま着せられた私は突然そこに降り立った宇宙人のようなアイデンティティでそこにいた。ぎこちないし、うまく動けてないのが頭では分かるんだけど体の方が分かっていない。口をついて出る「◯◯なんだけどさ〜」「くさっ!」みたいなおばちゃんみたいな言葉。それが気を付けようと思っている「のに」それ以後も出る、出る、とまらないんである。なんかこういう経験を繰り返すといっくら「でも内面はちゃんと考えてるし、やるときはやる」とか言ってても全て嘘ではないかと思ってしまった。現時点ではこれがオマエの真実なんだと突きつけられた気がした。スーツってのはその全てが膝小僧から、きゅうくつな上半身からにじみ出てきやがるんだと思った。これからはちゃんとしようと思った。けどスーツを着ていてスーツなりの会話しかしない営業マンをどうしても胡散臭いと感じているわたしがいたりして、そういう人は相手を「いてこませるかどうか」という目でしか見てないんだなあとずぶの子どもでしかないわたしでも分かるので、もう少し温かみでもって人を見て欲しいと思ったりした。そういう人は隣の庭に自転車100台を捨ててあるようなアパートを平気で売りつけたりしてくるし、サービスがあるのに「ない」と嘘をついたりする。

(だから何なんだよテメエの話だよ、でしかないか?)

そんなこんなで家に着く頃には大分肩が凝ってしまっていた。そもそも就活の時からスーツが似合わないと思っていた。だから若い子でもスーツをビシッと着こなしている人を見ると今でも劣等感を少なからず感じてしまう。たいてい背が高いもしくは、肉付きのいい人はスーツを着こなせている気がする。私はチビで薄っぺらいのでさらっと着るだけだと野暮ったくしかならないし所作が洗練されてないのでもろに精神性を表している気がして本当にいやになった。

 

しかしこの経験からスーツ以前に見た目や所作や動き方で内面っていうのは常に外に漏れ出ているものなんだなあと思った。私のような人間でもその人がちゃんとした人がそうでないかくらいは分かる。それは相手の佇まいやちょっと息を抜いた時に何してるのかっていうことや、顔つきや話し方でもはやある意味言葉とは違う「言語」として伝わっているのだと思った。つまり「どういう人かな」っていうのは話す以前から周囲にバレているし「何を考えてるのかな」っていうのは説明しなくても5割以上は外に自らが説明し終わっているのかもしれないなと思った。だったらもう人見知りうんぬんを言う前に、こんなにもこんなにも既に失敗しまくっているのなら何を恐れる必要があるのだ、人から聞かれる以前に自己開示してしまえやという気分になって、なんだか今日は無駄に饒舌になってしまったりしてしまいました。