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ラブイズオンライン

つぶやき、料理、日記など

ルール無制限スーパー

なにも書くことが思い浮かばない。何故かっていうと誰にもなにも伝えたいことなんてないからである。今日もまたスーパーへ行ってきた。まったくスーパーへ行くことくらいの重労働はないとわたしは常に思っている。いっておくがスーパーへ行くのはスーパーへ行きたいからではない。スーパーへ行かないといろいろと困るから結局はスーパーへ行かさるというただそれだけの理由である。スーパーで買い物すること自体もさることながら(過去の日記参照)私はまず袋詰め作業が苦手だ。せっかく優秀そうなレジ店員さんが効率よくカゴに入れてくれた品々を、てきぱきと一番いい形で袋に詰めることがわたしはできない。要領が悪いのだ。わたしは自分がそれを上手く「できない」っていうことを知っているからもう最初っから無様な感じでそこに存在させられているダサいババアでしかない。もう一人暮らしも長くて、OLになりたてだとか新米主婦の部類でもないはずなのに、私はあのテーブルにいるあいだは劣等感にまみれている。ひとつ言いたいんだけど、どれだけ店員さんがあれをカゴに効率よく入れていたとしても袋詰めする時点でそれが全てアダとなるような気が私はどうしてもしている。重いもの、デカイものは下に配置されていて、レジ店員さんがこなれていればいるほどにそれはぎっちりと寸分の狂いもなく重い→→→軽いで配置されているのだから、つまりはそれを袋に丸写しするためにはカゴの下のものから抜き出して、袋詰めしなきゃならないっちゅーことなんか?と思ってしまうのである。私は神経症もち気味なのでこういう世間では当たり前とされているが実はオカシイことに対してさぶいぼが立ってしまいそうなくらいのわずらわしさを感じてしまうことが時々ある。だからわたしは「んもお〜!」っていうきもちで、下の方から豆腐だの芋の袋詰めだのを引っ張り出してレジ袋の下の方は詰めたりするんだけど、どうにもちゃんとできない。ビンはガチャガチャするし下に入れたいものはかごの奥深くに埋まっている。そもそも、そもそもなんだけど一週間分の食料はわたしの手の中に入りきらない。豆腐をどこに入れればいいか分からない。小袋に入れるものがたくさんあるのはわたしがどこかで間違えたからなのかもしれない……冷食とか人参、芋なら分かるのに、ジャムのような小さいビンとか大根やネギのように形に無理があるものを「皆、どうやって入れているのかな」と考えたりしてそんなこと今更分かってないのは自分だけなのかもしれないと思ったりする。けどもしかするといまだにエコバックを家から持ち出すのを忘れる自分が悪いのかもしれない。けど「もしかすると」「そもそも」「生きる」ということ自体は「消費」でありそれはつまり「スーパー」へ行くわたしが「そもそも」間違えていたのかもしれない。

あとはビン、牛乳、肉類とかも一体どの辺に入れればいいのかわからない。何なのかな。実際どんな形でも、「はいれば」どうでもいいとは思うんだけど、けど後からデカイ缶詰めとか出てきたときの驚きとかこいつをどこへ入れればいいんだ?みたいな焦燥がつのっていってどうしても最後にはスーパーへもう二度と来たくないっていう気持ちになってしまっている。こんなにもこんなにも食に関する荷物を抱えている食欲だらけの自分を自覚しながら帰路につくなんて恥ずかしいことを何故人間は平然とやってのけるのだろうとすら思う。皆、間違えている。「そもそも」狩りをしていたころは…そういうことを考えているとこのまま「矛盾」を含んだ存在として荷物20キロ抱えたまま海へ飛び込みたくなってしまったりする。消えたいのだ、わたしは。今日もまた「生きたい」という醜いエゴを剥き出しでスーパーへ行ってしまったのである。わたしは負けたのである。わたしは、使い道のないグレープフルーツなんかを買ってしまった馬鹿でしかない。

 

わたしは精神が弱い。

苦手なことを「苦手だ」って自覚して、それを他人にいったり任せたりすることが出来るようになったのはごく最近のことである。わたしがこういうことを書くのは理解しがたい癖を他人様に理解してもらって「馬鹿だから、出来ないんだな」と思って、あわよくば手伝って貰えなかったとしても少なくても慰めてもらいたいからなのだと思う。怠慢っていうよりはマジでそれが苦痛なのである。

 

スーパーを出るとき、わたしはルール無制限ボクシングで負けたあとの選手のような気持ちでいる。(嘘です)