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リトルウィッチアカデミアを見た②

リトルウィッチアカデミアをまた見ました。

ストーリーは、魔法学校で勉強をしている主人公のルームメイトでもあるスーシーが、キノコをたくさん収穫するための薬を作りだし、それを自ら実験体として飲んだことで眠りから覚めなくなってしまうところから始まる。それを助けるために主人公ともう一人のルームメイト、ロッテが協力しあい、ほぼまともに魔法の使えない主人公は魔法道具屋の娘として育ったロッテから魔法をかけてもらいスーシーの体内(記憶の中?)へ導いてもらうというお話。お話の大部分はこの「スーシーの内側」が舞台となっていたんだけど、哲学的な話になっていて面白かったです。

スーシーの体内に入った主人公は、そこで色々なスーシーの姿を目にします。漫画で出てくるような葛藤を描いている天使と悪魔、それから色んな性格や、好みを持つスーシー。色々なスーシーは自然発生的に生まれるものとして描かれている。新しいスーシーは、何かを目にするたびに「こうなりたい」「こうしたい」そういった感情が自然と生まれるの人間を表していて、無限に生まれる感情を全て自分のものだと解釈しているのではなく本来「人はみんな自分の中の自分を殺しながら生きている」のだという。ここからが独特な所なんだけど、オリジナルのスーシーにふさわしくない「自分」は裁判所で死刑判決を受けて、抹殺されていく。途中で主人公はおとなしくて優しそうな女の子のスーシーを助けるんだけど、それでお話がめでたしめでたしとなりそうなものが、それで終わるわけではなかった。そのスーシーは一般的な良心に即していないスーシーだったのに主人公は気づかずに助けてしまったせいで、小さな女の子が突如、化け物に変わってしまうのだ。この展開はなかなか怖い。

物語ってこういった「こわい」「よく分からない」「闇」みたいのが存在していて、それは人間の生命や世界の不思議にも繋がっている。それは欲だったり、自然だったり、他人や社会だったりするのかもしれなく、それに対して裁量を与えるなんてことはできず、一人一人が折り合いを付けてやっていくしかないんだなあと思う。それは日々内部でも起きているんだ、と言われればそうかもしれないと思う。しかも「それは自分らしくないから」のような理由からだったりして、だったら、一体その「自分らしさ」なんてものは誰からどの時点で与えられたものなんだろうと思う。もしかすると親、友達、自分に価値を与えてくれるのはいつもきっと他人なのだ。闇や悪魔、それは人間の持つ一面でもあるし、そういうものが描かれているのがアニメや絵本なのかもと思った。

主人公が助けた女の子が本当は化け物で、混沌を喜ぶような性質を持っていた、ということで物語は転じるわけですが、こんなふうに良いと思ってやったことが仇になるというのは現実でもあって、その都度自分が正しいと信じていたことが後になってまったく別物に変わってしまうとか、無駄になるなんてことはないわけではない。その度にそれはもしかすると正義なんかではなく自分勝手だったのではとか、味方した人はわたしにとっては良い人じゃ無かったんだなんて思って勝手に落ち込んだりしてしまう。何かを思い通りに動かしたいという欲求があることは事実で、それはいったい善なのか悪なのかよく分からなくなってしまう。

 

この物語のリアルなところは主人公が必ずしも万人から受け入れられるような子じゃないというところだと思う。ずるいところもあるし、いつも正攻法なわけじゃなく、どちらかというと落ちこぼれの部類だ。まだ、何も身につけてない子どもでしかない。だから気持ちと直感だけで生きているようにも見える。この物語の主人公は見ている側を感情移入させるために泣いたりするわけでも無く、怒るわけでもなく、けど、岐路に立たされた時は一人でちゃんとやってみようとする。だからなんだか、見ていて頑張って欲しいって思うのだ。