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ラブイズオンライン

つぶやき、料理、日記など

短編小説の集い「のべらっくす」『青春』

【第27回】短編小説の集いのお知らせと募集要項(※必読) - 短編小説の集い「のべらっくす」

 

 

学生だったころの女の子は皆、ひとつのかたまりの中に存在して居て、一人一人の意思があるのか、ないのかも明白ではなかったから、だから幸子もそんな風に周りの子と同じように色んなものに憧れたり、騒いだり、熱を上げたり冷めたりしていて、そういう幸子が初めて恋と呼べるようなものをしたのは中学二年生の頃だったように思う。幸子にとって田中は初め、目立たない、ごくごく普通の男子生徒でしかなかった。思い返せば田中が国語の授業で当てられた時に口ごもってクスクス笑いが漏れたことがあって、そういう時幸子は「私はこういう人は好きにならないだろうなあ。」と思ったのだった。幸子は友達とともに学校祭を歩いて周り、友達と憧れていた先輩からアイスクリームを買って戻ってくることを三度もやってのけたし、体育祭では名前も知らない人の試合に何度も連れて行かされた。そのうちに、なんだか自分もその人が好きになってきたような気になるのだった。三年生の廊下を歩くのは幸子の意思ではなくて、大抵は誰かに付いていく肝試しみたいなもので、けど自分達みたいに体育系の部活に入ってない子達が声を掛けられるなんてことはなかった。ただ後で持ち帰って、お弁当のときの話のネタにするのだ。誰々が付き合ってるのはその友達の元カノで、声を掛けられたのは◯ちゃんで、とか話しては「えーっ」なんて声をあげているけど、「それ」が自分達の元に訪れることはないのは明白だったし、そういう子がその場にいない事にも安心しきっていた。体育の授業は嫌いだった。そもそも運動が得意ではないし、色んな道具を持って来なければならないのが億劫で、それでなくても忘れ物の多い幸子は、気の利かない(と自分では思っている)母親は声をかけなければ洗濯物してくれていない体操着や、体操シューズを揃えて体育のある日に用意して持っていくだけでも時々は忘れてしまって、そういうときは隣のクラスの、あまり仲良くもない知り合いから変な匂いのする体操着を借りてきて授業を受けなければならなかった。なんだか自分がエゴイストになったような気分で、見当違いに体育の授業も、教師も嫌っていたこともあった。それでも幸子の忘れ物の癖はなくならなかった。ある時また忘れ物をした幸子は放課後、記録をつけたプリントを持って体育館の横にある事務室へ一人で訪れた。友達の言葉を借りると今自分は「うんざりするような状況」にいるのだと幸子は思った。幸子が教師と話を終えた後で「待ちなさい」と声をかけられて、幸子はやっぱりだと思って立ち止まった。体育の教師はだから嫌われていたのだ。そうしてドアの開け方と、挨拶の仕方のやり直しをさせられて外へ出たのだけれど、その一件で幸子は真面目な生徒だと見做されるようになったようで、授業中も運動能力の無さよりも頑張りに注目してくれるようになった。実際幸子は真面目といえば真面目な生徒だったし、不真面目だといえば不真面目な生徒だった。中学一年生の選択体育では柔道を取ったから、女子三人と男子生徒に混じって柔道をやらされた。あの時も、自分にとって田中をただの男子生徒の一人として見ていたから、その中の一人でニョロっと動く、とかげみたいな佇まいの影しか記憶に残っていないし、ましてや話なんかもしていない。幸子が見ていたのはむしろサッカー部の大谷くんの方だった。ごくごく一部の女子生徒から「ピー助、ピー助」と愛称で呼ばれてからかわれていた木村くんを、幸子も可愛いと思っていたからだ。自分がどんな人を好きになるのかよくわからなかった。姉が好きなロックバンドを自分も好きだと思い込んで何度も聞いていたし、目立つ子、意地悪をしてくる子、話がうまい子、そういう子のことを単純に好いてたように思う。

田中のことを「気にならない人間の一人」と考えだした時から、だいぶ日が経っていた。体育祭が終わり、学校祭が終わり、その花火をクラスで並んで眺めた。幸子は塾に通い始めた。姉のせいでごたごたのあった塾に妹の幸子が入ることを、始め母親は快く思わなかったけれど姉と比べると成績の良くない幸子に落胆した母親は、幸子を塾に入れるを選択した。幸子は「そんなもんか」と思ったし、ごたごたのあったその理由も聞かなかった。家族皆が見えないことを置き去りにしたがっていることを知っていた。夏から秋に変わる頃、クラスメイトの名前だけでなくて、もう性格も交友関係もはっきりと出て来ていて、幸子はその中で自分と田中は似ている部類にいるのだと思い始めた。まるで反証を先に得た後で意思を持ち始めた物事のように少しずつ幸子の中で田中の存在は色濃くなってきていた。その時からどうして田中がいつも赤いものばかり身につけているのかとか、田中の交友関係の中に誰がいるとか、当てられたときのそぶり(いつもはにかんで、そういう仕草を可愛げに見る先生も何人かいた)を考えているうちに、田中と日に何度も目が合うようになった。ある時は帰る前に五回も目が合ったこともあった。夢に田中が出てくることもあった。特に何をするわけでもないけれど、互いにずっと以前から知っていた関係のように話をしていいて、親密な空気は目が覚めた後も消えなかった。幸子はそれを誰にも知られたくないこととして胸にしまっていった。冬から春にかけてだんだんと日が長くなってくる最中で朝目覚めた時に突然、春の訪れとあたたかさを体の奥の方から感じることが幸子はあって、そういう時は時間がやけにゆっくり流れているような、自然とひかりが満ちていくような気配を感じるものだった。幸子は暦の動きはよく知らなかったけれど、毎年毎年その気配を感じているうちに、きっとその日が季節の変わり目なんだろうと思うようになった。田中のことはその時の感じに似ていた。少しずつ少しずつ田中の存在が自分の中に入り込んできて、それが満ちていったような。

友人のまさこは幸子といつも一緒に居た。同じクラスになってからはじめは別々のグループに居たのに、いつの間にか話すことが増えて、二人で交流するようになっていた。まさこは柔道を選択していなかったから、そんな幸子のことを「信じられない」と言った。幸子からすると信じられないのはまさこの方だと思っていた。男子に混じって柔道をするよりも、皆の前で踊ったりリズムを取る方がずっと恥ずかしい。まさこは髪が長くてあっさりした口調で話すような子で、それから兄がいた。まさこの雰囲気がどことなく幸子と似ているような気がしたのは多分お互いに妹だからだろうと思った。まさこはあらゆること、とくに人間関係のことにおいて幸子よりも先に色んなことを感じ取った。まさこの「憧れの人」はたくさんいて、はじめ自分達を結びつけたのはそれがきっかけだったように思う。クラスの中にいるのは垢抜けていて勉強も出来る人達、それから図書委員とか放送委員とかみたいなちょっとオタクが入っている人達、そのどこにも属さないし、まだ「オンナ」にも属してないような、はっきりした言語で話さない、グループもてんでバラバラなのが私たちで、その中でも幸子もまさこも幼かった方だと思う。だから共通の言葉を使うように、あからさまに恥ずかしくなるような憧れを口にして、その時間にしか訪れないようなことを楽しんでいた。二人は自覚的に中学生で居たのだと思う。まさこは幸子に色んな事を話した。クラスメイトのこと、女友達のこと、先生のこと、家族のこと、ありとあらゆること。幸子もそれを聞いて、それからその半分くらいお返しを返すように自分のことを話した。まさこは「ふうん」とあまり気が乗らないような感じで聞いていた。

幸子はいつも一人の時間ですること、本を読んだり、音楽を聴いたり、自分の好きなもの、テレビで見て思ったこと、日記に書いてることや絵を描いたりしてること、そういうことを、いったい誰と分かち合えばいいんだろうと漠然と考えていて、それはほとんど言葉にならず、けれど決められたクラスや塾やそういった社会で生きなければならない事に対する不満や、それをもっとよい場所があるのだという転換によって自覚的でいたのだった。世の中にはもっと気の合う人がいて、もっと自分にあった社会があるはずだった。それは時々親や学校への不満として言葉になって出てくるのは、周りのクラスメイトも多かれ少なかれ同じようで、その中でまさこもまたそうだった。友達と自分達の差異やおかしさにまっ先に気がつくのはいつもまさこの方で、それは幸子が先に口にしなくとも「なんとなく」思っているような事だったから、それに頷いてみせる幸子を、まさこはどこか自分よりも幼いものとして見ているようで、それが時々窮屈に感じられたのだった。

 

幸子が田中を意識するようになったことを、だからまさこにも、誰にも言いださないでいた。そんな自分を特に不思議とも思わなかったし、実力行使することの出来ないのが自分だと思い込んでいた。それをやっていいのはクラスでも限られた人達だけなのだ。

ただ一人だけ、ずっと大人しい澤村さんに話したことがあった。澤村さんの好きな人を聞いた後に、幸子はいったいどんな反応をするのだろうという期待を込めて話してみたのだった。澤村さんは委員長をやっていたから、その部室に時々幸子も遊びに行っていて、そこにある人間関係をなんとなく把握していた。お互いにそれに対する感想も感慨も持っていなかった。澤村さんは「本」みたいな雰囲気の人で、本当は誰とも一緒にいなくてもいい人なんだろうと幸子は思っていた。澤村さんは、他人と接する時に途端に不安になるようだった。だから幸子はまさこにいる前よりも自分が饒舌になった。まさこだったら口にするような批判も、嘲りも、きっと澤村さんだったら言わないだろう。

幸子は田中のことを話した後、自分で思ったよりもずっともったいぶって話している自分の姿と、期待したよりも反応のない澤村さんの態度にがっかりした。それはまさこと隠れてバレーボール部の先輩を見ているときのように、わくわくする時間ではなかった。澤村さんの口から、誰か他の人に漏れてしまわないか途端に不安になり始めて、幸子はすぐに話したことを後悔した。

帰ってまた幸子は一人で音楽を聴くためにラジカセのスイッチを入れた。「だから」何をするわけでもないし「だから」どうして欲しい訳でもない。ただ自分の感情を持て余しているだけなんだと思うと、自分がまさこに対して抱いていた窮屈さが正当化出来たような気がした。幸子も、まさこも、単に同意を求めていただけなのだ。それをしてくれない澤村さんを、野暮だと思うよりもそんなことで自己主張する卑怯者だと思った。けれど、自分が「秘密」めかして伝えたかったことは一体何だったんだろう。自分達はとてもちっぽけで、ばかみたいに思えた。それから、この場所は窮屈なんだとより一層感じるようになった。

けれど単なる中学生に日常を打破することなんてことは出来もしなくて、幸子は毎日、塾に通ったし、予習をしてから学校へ行ったし、学校では田中を盗み見して、体育の授業では目を追っていた。田中が大谷くんと同じサッカー部だったということはもう知っていた。そのうちに自分より田中のほうがこちらを見ているのだと気が付いた。二月に入って、もうクラス替えの時期だった。まさこの友だちが、バレンタインデーに誰かにチョコレートを渡したという話をなんだか人ごとのように聞いていた。それくらいに思い詰める気持ちを、幸子はまだ知らないと思ったし、それともそれもまた幸子とまさこのように、分かち合いたいためのイベント的なものなんだろうかと思った。笑い合う女の子達は可愛くて楽しそうで、けれどそこに入る手段を持たない幸子はそれを「うらやましい」と感じて見ていたのだった。

 

十年後、幸子は恋人と薄暗いバーから出てくる所で、田中とよく似ている人とすれ違った。田中は、女の子と一緒に笑いながら話していて、背格好も動き方も変わっていなかった。けれど大人しい彼の唯一の自己主張のようにしていた赤いものは身につけていなかったし、幸子には気が付きもせず、一度も目を合わせいまま、店の中へ入って行った。