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ラブイズオンライン

つぶやき、料理、日記など

リトルウィッチアカデミアを取り敢えず見た

アニメの「リトルウィッチアカデミア」を見た。どうしてこんなのを見ようと思ったのかというと自分でも分からないけど昔のアニメにあったものを求めてたのかなと思う。私はとにかく「軽いもの」が好きだ。ドキュメンタリーやドラマとかと、面白そうだなと思って録画したとしても重すぎる空気を感じ取って再生することなく消してしまったりする。とにかくメンタルが弱い。

で、観たんだけどまあまあだった。今回は十何話目かで途中もいいとこだったんだけど、話の内容は、落ちこぼれの魔法使い見習いが、エリート選りすぐりの魔法学校の中でかつて見た憧れの魔法使いのようになるために奮闘する、みたいな感じで、主人公は全くもってダメで成績も悪く学園追放かというところまで行っているのに全然へこたれない。無鉄砲さと明るさはワンピースのルフィみたいな感じ?けどちょっと違うのはのび太みたいに本当の落ちこぼれでしかないっていうところだった。正義感があるわけでもない、頭がいいわけでもない、優しいわけでもない、周りの生徒が何かに秀でているのに対して、「自分は何も持っていない」。

こういう、私ってなんなの?私のいいところってなんなの?という問題は、小さい頃からずーっと付いて回る問題で、そうだ、私も誰かからそれをもたらされる日を焦がれていたような気がした。誰かから私を特別なものだと認めてもらって、そこから私のちゃんとした人生が始まるんだ、っていうような無意識の希望的観測というか。主人公はけど、劇的にすごいことをするわけではない。途中でまた失敗をして、それを取り戻すために奮闘してととてももどかしくて、ぜんぜんうまく行く気配もなければ、彼女がいい子にも見えなくて、なんだか現実みたいと思ってしまった。最後にその失敗で彼女がしでかしたことに対する評価をしてくれる人が現れて、彼女がやっとその、学校から追放されるのを免れるわけなんだけど、その理由もそれほど劇的なものというわけでもない。それは彼女が出した単なる、ちょっとした勇気をたまたま評価されたことなのだった。けど生きていく上でこういうのは必要で、案外肝心な場面でそういう勇気を出すのをなまける癖が付いてしまっていたりする。一体その差っていうのは何なのだろうか。大事なのは今、さっきでも明日でもなくて、今、「ここ」なのだ。答えが欲しいのは今。助けて欲しいのは今。それを逃してしまうか、離さないか、たったそれだけで人と人は繋がってるんだなと思う。

それから、私ってなんなの、私のいいところって何なのともがくのが若者な訳だけど、そういう葛藤を超えて自分の役割を見つけ出すことが社会で大人になるということなのかなと思った。役割は常に社会のなかにいる誰かから自分のために「はい」ともたらされているものであって、それをちゃんと「ありがとう。がんばります」っていう態度で居ないといけないのだなと思った。私のいいところも、役割も、自分で主張しているだけじゃダメなんだ。それはいつも、ちょっとだけ勇気のある他人から運良くもたらされているだけのものだったのだ。勇気っていうのは、何も断崖絶壁で何かを救うっていうパフォーマンスのことではない。ただその他大勢の仮面を捨て、個人として正しく振る舞う、それだけのことでもあると思う。