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ラブイズオンライン

つぶやき、料理、日記など

おい、玉ねぎ

先日、思い付きでにんじんのポタージュを作ってみた。レシピはネットで検索したもので、玉ねぎ一個と人参二本を刻んで炒めたごく普通のものだったんだけど、出来たものを食べてみて、「あれ?」と思った。あれ?なんだかこれは、以前作ったポタージュに似ている。前に作ったことのあるのは、かぼちゃのポタージュ、ジャガイモのポタージュ、ほうれん草のポタージュなんだけども、どれもこれも何かが共通してるような味がする。って考えていて、そうだ!全部に玉ねぎを炒めたのが入ってるんだ。ってことに気がついた。それに牛乳である。ってことは「ポタージュ」っていうのはそれが必ず入ってるんだろうか?よく分からないけど、今日はおやつが何もないのでツナのサンドイッチを作っていて、以前聞いたことのあるツナプラスアンチョビを混ぜたのを作ってみた。アンチョビはツナの中で個性を失い、おそらく塩分のひとつとなって溶け合ってしまっていた。ツナのサンドイッチは大人になった今からすると何か物足りない感じがするものだ。私はツナの味見をしているときにここに、玉ねぎを入れたいってふと思った。もちろん生のである。細かくみじん切りに刻んだのをツナマヨに混ぜて食べたらたぶんほどよい刺激で美味しくなると思う。でも結局、ツナマヨの上にスライスした玉ねぎをのっけて食べることにした。やっぱり単に玉ねぎをちょっとだけいれるだけでも、それにサバサンド的な奥行きがでて「おいしい!」って思った。そう考えると玉ねぎは地味にわたしたちの、っていうか西洋料理の軸を担っているような気が、土曜の昼下がりにしてきたのだった。けどその時自分のなかで「当たり前だ!」っていう強い反発が湧き出てきたので幾らかの不快を感じたこともここに記しておきます。(トマト)思い出してみると昨日もハンバーグに玉ねぎのみじん切りを炒めたのを入れて作ったのだ。玉ねぎのみじん切りを大量に作ってフライパンに入れるときって「あ〜っ、イッパイ炒めれる!」みたいな意味のわからない、しかし根源的な喜びが溢れてくる感じがしませんか?わたしたち人間って結局は、すり合わせを経て最高点に到達するまでの地味な作業っていうか、単調作業に喜びを見出す農耕民族なのだなあと思ったりしてしまいました。玉ねぎってすごいと思う。玉ねぎ、玉ねぎ、玉ねぎ絵本でも、松谷みよ子さんの「ちいさな玉ねぎさん」っていうのがあって、玉ねぎは内に秘めた「辛味」でたった一人悪に対峙するのだった。ここまで来ると玉ねぎに対して愛情すら湧いて来る。玉ねぎサイコー!辛味は加熱すると旨味と甘味に変わる。これは魔法、いや変身と言ってもいいほどの劇的な変化でもある。ムーン「たまねぎ」パワー!メイク・アップ!!玉ねぎ、イタリアではたぶん欠かすことの出来ない食材かもしれないけど、これを日本に置き換えると何なんだろうと考えていて、「大豆なんじゃないの?」と思い付いた。大豆ってしょうゆみそそれから枝豆、豆腐の原料でもあるし、今は紀文から、色んな味の豆乳飲料が出ています。