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ラブイズオンライン

つぶやき、料理、日記など

「顔のない裸体たち」を読んだ

平野啓一郎の「顔のない裸体たち」を読んだ。読みやすかった。ここ数年まともに小説を読み終える、ということが無いくらい漠然と生きていたのだけど、やっぱり小説を読むことに意味はあるのだと思ったのでした…


性的描写の多い小説ですが、しかし性抜きに人間の在り方、男女の在り方を描くことなんてできないというのもまた事実だと思います。結局知りたいのは「そこ」っていうことになるのかもしれない。(私)物語はある程度変化のないままで進むんですが、最後の方で女が男に対する心情を変化させた理由が面白かった。それは軽蔑?それか、自分の方が優っているという意識の変化でもあったかもしれない。というより、女の関わり方を見ていると、これまで何故それを抱かなかったのか不思議でもあるのだけど、でもこういうことは男女関係の中で多かれ少なかれ胸の中にある事だとは思う。「言うことを聞く」っていうのはある意味で幸福なことなのだと思いませんか。従順で、純粋なわたしを目の当たりことはけっこう幸福なことなのだ。(っておもいませんか…)

この物語の中で女は男と、性的欲求を満たすためだけに会ういわゆるセフレのような関係です。その関係性の直接さからかこの物語の中で男が女に対して抱いている感情はほぼ、支配欲です。それは自分を満たすための、女は歪んだ社会との繋がりでもある。社会と自分との軋轢、劣等感を昇華するための存在として、セフレの女は描かれ、いっぽうで、女から見たその男は現実には存在してはいけないような粗暴で危険な男として描かれています。しかし抑圧された自分を解放し、受け入れてくれる存在でもあり、女にとっても男は、社会と新たな繋がり方をする存在であるのだ。

それが最後にはその男が裏では自分をどのように扱っていたのか、そしてそれを他者がどのように受け入れていたのか解き明かされ、関係性の逆転?が起ころうとします。女は、自分が支配されてきたからくりの全てを目にし、男の欲求や自分に対する思いを把握します。男は「女あっての」男だった、ということを知り、その真実により、女にとって男の言動には影がさし始める。それを見た女が、その時から、自立心を抱き始めるというのがなるほどと思いました。これがきっと男女の根深いところの違いかもしれない。女が純粋でいられるのは、男の全体像を未だ掴みきれていない時点のみなのだと思う。全て知り尽くした後から、女は男を支配したい欲求が出て来る、なんていうか「強く」なってしまうっていうか。周りでもそういう関係性を見たことありませんか?わたしは、女は母にも妻にも化ける生き物だからだなあ、と思ってしまう。


それから、ネット上のみの真実が現実のものとなった時の描き方が恐ろしかった。ネット内の姿は決して、白日のもとに晒されてはいけないだけに、最も望まれない「学校」という場所で、しかも大勢の目の前で知らしめられる最悪の形を取ったのだろうと思う。まるで、現実っていうものが、信頼が、希望が、ものすごい音で引き裂かれるようなシチュエーションのように見えた。その時、二人が守り続けていた漠然としたもの、尊厳や現実、性、ふだんなら誰の目にも触れてはいけないものが一度に晒されてしまう。読んでいても「それは恐ろしいことなのである」と知らされてるような気分になる。で、それだけに、二人の破壊だけでは止まらず、周りの人間をも巻き込んでいく。男は暴れ、女は泣く。このことを、二人とも予測していなかった訳ではないだろう。その微かな予測さえも含めた行為だったのだから。


しかし現実っていうのは残酷である。何をしていても、やったことはやった事にしかならない。明るみになった以上それは誰の手にも止められないのだ。

そうして白日の下に晒された真実は、晴れた日にブチまけられた生ゴミのように静かに、切迫感のないままで善良な人たちに食い散らかされていく、、、、。


ああ本当、こんなふうには絶対になりたくないって思った。フィクションは、こんなふうに楽しむものなんだな。「そこ」から顔をあげて現実に戻っていくとき、ちょっとだけ世界が変わって見えるのだ。