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つぶやき、料理、日記など

まぼろしのきつねうどん

休日のある日用事が済んだわたしは家へ帰ってから冷蔵庫にあるうどんを食べようと考えていた。アルミの鍋に入っている、付属の調味料などとともに煮ればすぐ食べられるアレである。この間久しぶりにそれの天ぷらうどんを食べたんだけど美味しかったのでまた一応買っておいたのだ。色々用事を済ませてついでにチューハイも買ってから家へ帰ってうどんを食べた。冷蔵庫に入ってたのはきつねうどんだった。きつねうどんに卵を入れるのはたんぱく質がかぶる感じがしたので入れなかった。入れたのはネギのみ。煮ている間に洗濯物を畳み、煮えたのを食べている間に友達が来た。うどんを見て「いいなあ」って言ったんだけどお腹が空いていたので少しもあげたくなかった。しばらく食べていくうちに腹が満たされて来たので、未だ隣で物欲しそうにしている友達に「残りのうどん食べていいよ」って言ってあげた。わたしは洗い物を済ませようとして立ち上がった。

その後同居人がうちに帰って来た。同居人は帰ってくるなり叫んだ。「ああああ〜!!どうして?!」何ごとかと思ってびっくらこいたわたしは、台所のすき間から居間の様子を見てみた。今までにあまり聞いたことのない叫び声に対して、一瞬でいろんな「よそく」が頭の中に浮かび上がった。多分友達は何かを間違えてしまったのだ。それは大切なもの、例えば書類とか、眼鏡とか、鍵みたいな一つしかないものを壊されてしまった時にあげる、つまりは取り返しが効かないというときの声だって思っていたら「うどん」に対して言っていたみたいだった。「どーしてうどん、たべちゃったの?!

その後話していてわかったけどわたしの食べていたうどんは私の買ったうどんではなく、同居人がいつか食べようと思って買っておいたものだったみたいだ。しかし私が一度天ぷらうどんを買って食べたのは事実で、買おうと思った時に隣に置いてあったきつねうどんと迷ったという記憶、それからおいしかったので「また食べよう」と思ったこと→→→家の冷蔵庫にきつねうどんある、という二つの事実の間の矢印がいつの間にか省略されていて「わたしがきつねうどんを買った」ということにわたしは何の違和感もなく納得していたらしい。

出先から家にもどるまでの間、わたしの頭の中にあったうどんはわたしの買ったものでも、わたしのものでもなかった。そのことにわたしは本当にびっくりしてしまって、同居人の驚きとか、そのうどんを今何故か友人が食べていることとか、友人に分け与えて「やった」みたいな満足感もなにもかも全てが虚構だったのかと思うと、呆れる同居人の前で笑いが止まらなくなってしまったのだった。

はてな題詠短歌の目五月

短歌の目に今回も参加しました。

よろしくお願いします。

 

短歌の目5月のお題です - はてな題詠「短歌の目」

 

 

1. 青葉

青葉萌え沈黙が増え答えさえ要らないようにいずれなりゆく


2. くつ(靴、屈、窟など他の読みかたも可)

唐突に置いた最後のピースだね靴箱の靴の抜け殻感は


3. カーネーション

カーネーションの葉、くき、花はザリガニの胴体、足と似てる気がする


4. 衣

見てよこれ、衣ばかりと笑う人に返す言葉もない僕ですが


5. 夕なぎ

夕なぎに現れたのは蜘蛛ととお化けとロクなもんにもならない思想

 

 

テーマ詠「運動会」

世の中は、成れなかったで溢れてると運動会で漏らした再従兄弟

 

玉入れで数数えてるせんせいは何が楽しくそんなに笑うの

 

 

日記

日記を読み返すごとにばかばかしいなと思ってしまい、今ではどんな気分でそれを書いていたのかもよく分からない。なんていうか普通のブログを書いてないかもしれない。けど何を書けばいいのか分からない。

常日頃仕事のことばっかり考えてしまってそれが間違えていることのような気がしている。自分には生活、趣味、他の場所もあるはずなので何話してても結局仕事の思考回路に陥っていくのは間違えていることのような気がする。

 

 

〜今日思ったこと

人の上に立つために「怖い」っていうことが重要なのかなと、恐怖政治を行おうとする元恋人を見ていて思う。

包容力って何?それは「反発する」でないことはもちろんのこともしかすると「強く受け止める」ではなく「受け流す」ということなのかもしれない。そう考えるともはや早く歳をとりたいと願うしかない。

・小学校入りたての頃に友達を作るためには「友達になろう」って声をかけないとならないと思いこんでいたっていう、そういう感覚を思い出す。友達になるためにはあと一歩のラインを踏み込まなければならないんだった。勝手に心配したり、生活に干渉してみたり、やけに感動してみたり。そういうやりとりを自然にできる友達としていて思い出した。そーかだからこの子はすぐに友達ができるのか。自分にはそういうやりとりが上手くできない。親しい相手にさえも鎧みたいなものがあるんだなあと実感した。化石だ。化石。

・昨日と同様の攻め方で今日も行くのは「効果があるからだ」「効果がないからだ」ではなく「自分がやりたいから」だったとしたら単なる馬鹿だ。わたしはばかです。いつでも自分は他人から馬鹿に見られてるんだなと思わなくては

梅雨っていうのを経験したことがないからそれに対して「本当にあるの?」くらいの認識くらいしかないんだと思う。わたしは雪に焦がれているかもしれない架空の人達のように、そういうものが性格形成とかにも影響を及ぼすのかもしれないなあ、って感じで梅雨を思ったりしてしまうことがある。異国の見えない暗号みたい。梅雨のある土地に住んでる人はきっと物事を画一化したいくらいに何事に対してもきびしくて、はみ出てる人を許さなかったりするんだろうなと考えたりもしたりして、けど、そんなのは自分からした社会に対する恐れそのまんまの印象でしかなく結局梅雨に対するイメージなんてものろくに持ち合わせていないのだった。よく分からないものが分かった途端に「こんなもんか」となってしまう落差。あの頃はいろんなものに対して幻想があって、だから幻想それ自体が梅雨に対する印象だったのかもしれなくて。

梅雨っていうのは、だいたい六月くらいの季節にだらだらと雨が降ったり止んだりしてジメジメするなあっていうものなんだろうなと想像して居る。同じようなもので三寒四温なんかは毎年、「いま、三寒四温に居る!」みたく思って共感を求め周りの人達に言いふらしたくなってしまうのでもしかするとそれくらい劇的なものなのかもしれない。梅雨入りしました、梅雨が来たぞ〜と言うことで、ただ気持ちが軽くなるのだというようなやり方で、つまりは分かち合うということなのだと思う。梅雨の存在に気づいたちょっとずつの人たちはあるときから声をあげるようになって、地球がうまれて◯ン年目くらい暦ができてルーティンが出来上がってからある時期になるといつも「なんか調子が悪い」と思うようになって、そう考えているのは自分一人じゃなかったんだっていうことがわかって、それに名前を付けようということになり、共有することで、皆で少しずつ梅雨っていうものの煩わしさ、苦しみを分かち合うことができるようになったのだった。梅雨っていうものの今も昔もその存在は漠然としていて、人たちは体感的に梅雨っていうものがあるのかどうかよくわかってなかったりする。こういう在り方は途切れなく存在している私たちの在り方と比較してみても実は正しいのだなんてふうにも思うから、だからそういうことに「なんとなく」みたいな「かも」「たぶん」なんてふうに付けたくなってしまうことをも恐れないでいて下さいと考えてみたりする。公式に発表されるのを待たれるようになってしまった梅雨、ただ煩わしいとだけ言われるようになってゆく梅雨、そういうものを見ているときに切ないとたまに思う。いや、思ってない。「思った方がいいのかな」くらいに今は毎日が忙しいのだった。

好きな人とそうでもない人との違いについて考える。好きな人っていうのはうしろ姿を見つけただけで駆け寄りたくなってしまうものだったような気がする。そこにしか見えない景色に近寄りたいと思わせるのが何なのか自分でもよくわかっていない。好きな人が自分を好きでないということは起こり得ることで、それ以前に自分よりもかっこ良い人、可愛い人は世の中に数限りなくいて、そういう人を見るたびに親しみ、反発、それから「いいなあ」っていう気持ちがやみくもに湧き上がってくる自分も少なからずいるっていうことを否定出来ないのだった。わたしはまだ若い。こういう世の中を見上げた時に闇雲に(ほとんど関係ないくせに)いいなあって思う気持ちは突き詰めて問答してゆけばもしかすると嫉妬なのかもしれなくて、そこに埋まってるものが他人のもので人ごとだった時に感じていたものだとかを思い起こすとウワッてなってしまう。自分の存在を超えてあるものに相対したときの人間の振る舞いってのはまるでその人自身なんだろうか。けどそれに対する気持ちは悪にも善にもなり得るだろうし、自分にはないんだとは言えないような気がしていて、だからそれに向き合わないうちから茶化したり、さっさと転嫁してみたりするのはちゃんと生きていないことのような気がする。だからわたしは誰にも自分の気持ちを言いたくない。

結局まとまらない。好きっていうのは思わず駆け寄りたくなってしまう気持ちだったと思った。よく知っている人が夢に出てきたときに目が覚めてもしばらく懐かしいと思っているときの気持ちってなんていうんだろう。あのときは双方向性みたいなものがちゃんとあって互いが互いを見ていたし、私はいつもちゃんと声が返ってくるのを待っていたのだった。そういうこと全て、懐かしくてずっと浸っていたくなってしまう。まなざし、声、雰囲気みたいなものがわたしに続いてたそのままで誰か他の人に注がれているということにけっこうショックを受けてしまいそうだ。命って限りなく欲深いと思う。

 

椎名林檎の歌で「将来僧になって結婚してほしい」っていう歌詞があるけどあれはよくわかる。僧になんてなって欲しくないし好きになる人がそんな無欲で世俗に興味のない人であるわけが無いんだけど、突き詰めればいつか欲しいものはそういう種類の愛情なんだと思う。そういうことに対してなかなか説明がつかなくって、だからポエムにしてみようかと思ったのに、糞詰まりみたいになってあんまりうまくいかなかった。

 

 

プリペイド式なんて存在しない

最近、「せっけん」がけっこう好きだっていうことに気がついた。おもに固形石鹸のことである。きっかけは多分洗顔のための炭石鹸を買ったことにあると思う。

固形石鹸はたいてい、紙箱に入っていてその中にビニールで包まれた固形石鹸がしっぽりと収まっていたりする。それを開ける時、けっこう興奮している自分がいることにあるときわたしは気がついたのである。これは友人の手土産を開ける瞬間、それとも子どものころ自分のために用意された包みを初めて開ける瞬間な感じにも似ている。石鹸はつるんと出てくる。勢いあまってわたしの手からこぼれ落ちたりすることもある。「ガコ〜ン!!」せっけんは思いのほか硬い。わたしはせっけんってあるべき場所に収めなきゃならないものなんだなあって思わされるのだった。

 

この間三百円ショップに行った時に石鹸が沢山売られていて嬉しかったっていうことがあった。思わず「こ、こんなに石鹸がある!」とつぶやきそうになってしまった私は、けどひとつも選べなかった。自分にはこういうことがけっこうある。1たすいちたすいちが=3だったりすると結局全部1にしか見えなくて、その中にでも2か100とかがあれば速攻で買ってしまうところがある。ようは選びたいのである。

 

ところで固形石鹸のどこがいいのかというとそのフォルムだと思う。なんていうか丸かったり透明だったりしてもいいんだけどできるだけマットでしかも「しかくっっ」っていう形をしてくれてるとありがたいって思う。多分これにはチューブ状、ポンプ状のせっけんに慣れてしまったが故の物珍しさもあるのかもしれなくて、でも体を洗うたびに「しかくっっ」っていう石鹸をゴシゴシと、洗う布に擦り付けているとなんだかちゃんと神様に顔向けできるただしい行いをやってるような気にもなってくる。「かたちのあるもの」は私たちのさまよえる魂を少なからず救ってくれている気がする。少しずつ減っていくのなんて当たり前なのである。わたしはカード払いもプリペイド式も嫌いだから使っていない。原始的に戻ろうや、皆。結局石けんに洗濯板がイチバン汚れが取れるに決まってるじゃないの。

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明日からせっけん、使ってみない?

休みの日は巣ごもり

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この間お休みだった日に白玉団子を作っていました。ひさしぶりの休み、となると外へ出たいという気も起こらず不思議と家の中で掃除やらこまごましたものをこさえたくなります。

「そうだ白玉団子を作ろう!」と思い立ってすぐに「今回は、抹茶のやつをつくってみよう!」というアイディアが閃き、そのご「それをココナツミルクにいれてみよう!」と次々とアイディアが浮かんできたので全部取り入れてみることにしました。

まずは買い出しへ。近所のダイエーへ行きます。

 

抹茶粉末は四百円、 ココナツミルクは二百円くらい。白玉粉は忘れたけど二百円弱くらい。合わせてなんと八百円もかかってしまいました。これじゃあ喫茶店でパフェを食べるよりも高くつく。こういうとき自分は「スイーツうんぬんじゃなくて、これは単なる趣味なんだ」っていうふうに解釈をすることにしています。

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白いのと抹茶、二種類作りました!

白玉粉をこねるときの生地を耳たぶくらいの硬さにまとめる、という表記があるけどわたしはいつもこれがよくわからなくて「軟骨くらいの硬さ?」って思ってしまいます。

 

 

 

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ココナツミルクの缶をあけて中身を出しました。ネットでしらべてみるとこの状態から「水でゆるくして、砂糖を入れて少し加熱」するらしい。

実際缶から出したばかりのココナツミルクの状態はおもいのほか「もたっ」としています。タピオカミルクのようなさらさら感はないし、何故か灰色がかっている。スーパーでよく買っているわたしの好きなココナツミルク飲料とも違う。これが本来のココナツミルクの姿…なの?

 

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それから次に、白玉をボール状にしてゆきます。レシピでよく見るのは火が通りやすいように真ん中をくぼませているのが多いんだけど、そうしなくても十分に茹でれば問題はないと思う。それに、丸い方がかわいい。

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茹でる。浮かんできたのをあみじゃくしですくい、氷水につけます。

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で〜きた!

 

感想としては、抹茶のほうがこんなに色濃くてもあまり抹茶の味がしなかったから、もうちょっと入れてもいいかもしれないと思いました。(たしか白玉粉60グラムに抹茶小さじ1杯半くらい入れた)白玉にココナツミルクだけだと甘さが足りないかな〜って感じでした。これにあんこを入れてあんみつ風にするともっとおいしかったかも。

 

 

そして夜は春巻きを作りました。さっきも書いたけど、休みの日は手の込んだものを作りたくなります。

春巻きは初めて作ったんだけど家にあるものでは足りなくてたけのこの水煮、春雨、ひき肉、乾燥しいたけ、春巻きの皮を買い出ししてきました。

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f:id:tmtkkiy:20170515180126j:image弱火でじっくり揚げるのがコツらしいです。もう中身は火が通ってるので皮をぱりっとさせる作業と思うとラクだ。

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「包む」のがたのしい。包みたい欲求がヒトにはあるような気がする…

 

春巻きはずっと好きでたまに冷凍食品のを買ったりお惣菜のを買ってみたりもしていたんだけど、なんとなく片栗粉の粉っぽさが気になるのが多いような気がする。だからなかなか美味しいとおもえなくて、初めて今回手作りしてみたんだけどこっちの方が美味しかった。うまくできました。

簡単!激ウマ!とろーり餡たっぷりの春巻き by ナウちゃん [クックパッド] 簡単おいしいみんなのレシピが267万品

こちらのレシピを参考にしました。給食の時に食べた春巻きっぽくて理想でした。

難しそうに思える春巻きだけど、やり方を間違えなければカラッと揚がるので失敗もなかなかしにくいメニューだと思いました。美味しいのでまた作りたい。

唐揚げをアレンジしてみた

今日はいつもの唐揚げをちょっと作り方を変えて作ってみました。いつもは、唐揚げの衣に卵はいれないんだけどこの間読んだレシピに入ってたのを思い出してどんなもんかと思い入れてみた。実家でやっていた片栗粉だけのレシピだと粉吹いていてカリッと揚がるような感じの家庭的な唐揚げになるんだけど、卵+小麦粉+片栗粉を入れるとフライドチキン風になった。お惣菜コーナーで売っているような冷凍食品の唐揚げのような衣がしっかりついているようなやつ。あまりカリッとは仕上がらなかったけどこれはこれで美味しいと思った。

うちの唐揚げのレシピには生姜とにんにくと、それからすりおろした玉ねぎを少量入れています。入れないでもいいんだけど、入れた方が「昔運動会で食べたウチの唐揚げ」って感じの味になるので入れている。それから今日は肉の下味をつける前にフォークでぶすぶす刺して味を沁みやすくした上で、塩コショウも結構しっかり目にかけました。家で唐揚げ作ると、揚げも味もいいのに、塩気が足りない!ってことが何度もあったのできっとこれは重要だと思う。

 

今回鳥もも肉は1キロパックのを買っていて、それも解凍してしまったやつだったので痛むのを考慮して残った肉もつけおきしておきました。唐揚げは細かく切ったけど、つけおきのほうは一枚のまんまで漬けてあるから、そのまま焼いて、焼きあがってから切る感じにして食べてみようと思う。

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あとは行を埋めるために書いています。

唐揚げに付け合わせのサラダみたいなのも作りました。もう黄ばんで捨ててしまってもいいくらいのキャベツと、人参とハムと玉ねぎのみじん切りでコールスローふうサラダです。この、「サラダに玉ねぎのみじん切り」というのはこの間たしかひじきとベーコン+玉ねぎみじん切りというレシピを見てそこからアイディアをもらってみたんだけども、けっこういい。トルコ料理とかでも生のタマネギをけっこう取り入れていたような気がするけど、これを入れると締まりが出て美味しくなる。残り野菜ミックスからちゃんとしたサラダの味になります。ていうか昨日までわたしは旅行へ行っていてそこでバイキングを食べるときに何度も酸味ある系のサラダとかカルパッチョみたいなものを選んでて、そこで「自分はこういうのが好きなのだ」ということに気づいたのだった。コールスローとか美味しいと思う。

 

そんな感じです。こういう料理のちょっとした使い回しのきくアレンジやコツを抑えておくと、料理がずっと楽しくなりますね!ハハハハハ!

モーモーチャーチャー

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コンビニでモーモーチャーチャーっていうスイーツを買って食べました。

「いるかな?」「いないよね」と思いつつわたしがこの間トイレ入って流すの忘れて出たあとで入れ替わるようにトイレへ入ってった店員さんと会いたくない気持ちで店へ行ったらちゃんとその人が居て、びっくりしました。

しかしこういった失敗やトラウマっていうのは一人で溜め込むほどに胸を締め付けるというか自分なりにキツくなってゆく感じがあるんだけど、他人に冗談めかして伝えたあとだとわりと平気になっているので不思議なものだなあと思う。トイレの件も、たぶん実情は笑えない感じ(うんこではありません)だったと思うんだけど友達に話してさんざんバカだ、間抜けだと言われまくった後だったのでわりにどうでもよくなっているわたしがいた。前科のある者としてあと他に考えていたのは「他人の顔ってそんなに識別できるもの?」みたいなことで、しかしやっぱりごまかしようのないその人の「顔」っていうのは他人のアイデンティティそのものなのかもしれないなんてふうに考えていました。ザーッ!