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ラブイズオンライン

つぶやき、料理、日記など

りんごのタルトタタンを作った

今日はホットケーキミックスがあったのでネットで調べてみた「リンゴタルトタタン」を作ってみました。

簡単!HM!フライパンりんごタルトタタン by まこさんど [クックパッド] 簡単おいしいみんなのレシピが262万品

参考にしたレシピはこちらです。

 

 

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まずは、砂糖とバターを合わせたものを煮詰めます。うちにあるのはきび砂糖だったので、色ではカラメルへの変化の判断がなかなかつかなくて焦げっぽい匂いがして来たくらいで火を止めました。

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りんごを並べました。カワイイ。

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それをさらに煮詰めます。

この辺でい〜いにおいがしてきます。

焦げ目が付いて来たくらいでホットケーキミックスを流し入れます。生地がちょっと少ないような気もしたけど、タルトタタンのなんたるかを知らないのでそのままの分量にしました。

 

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そして、出来上がりがこちらです。見ためがゴージャスなのでこんな簡単に作れたのに満足感がすごいです。まこさんどさんどうもありがとうございます。

友達に振舞ったらあっという間になくなってしまいました。りんごとカラメルの香りがよくて、生地になじんでしっとりした感じがおいしかったです。

 

素材自体はもらいものの余ってるりんご、それから余っていたホットケーキミックスだったのがレシピを作った人の知恵のおかげでこんなおもてなし料理に変身し、それもフライパンで洗い物少なく作れるということにすごく感動しました。

 

やる気が…

今日は金曜日。けど私は、朝からずっとやる気が出なかった。

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今日ダウンロードしてみたペイントアプリがけっこう良い。360円だせばペイントツールがたぶんもっと解放されて使いやすくなるみたいだ。

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 電車の中でこういう感じで座っていた。

私はやる気がない。

(けど存在はしている…何故…?

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今日から自転車に乗って居ます。

自転車に乗っていると風がものすごくさむい!

 

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やる気が出ない…

でもこのたて線はナニ?

 

 

 

 

 

 

 

 

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わたしの隣にいる女子高生はこんな感じだった。

「ハイハイは〜いっっ!

ぶどうパン食べま〜〜ス!!」

 

 

 やる気があろうとなかろうと、今の自分の状態を表現することで幾らか気持ちがすっとするものですね。ペイントツール、使ってみてよかったです。

最近だんだん日が長くなって来たので夕方ごろ外を歩いていると「この時期はまだ一日が終わらないんだなあ」と感じます。そんなときは何故か市民プールで泳ぎまくった後の体のダルさを思い出しています。

週末のあれこれ日記

 

何も書くことがないので、写真を載っけようと思います。最近ツイッターをやめたので、これからはこっちに載せていくかも知れない。

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イイねといいよの違いについて、思い付きをノートに書き留めました。「イイね!」って言ってこられると恥ずかしがり屋の人だとこれ以上知られたくなくなってしまって削除を選択してしまうこともあるかもしれないけど、「いいよ」くらいのさりげなさだとちょうどいいんじゃないかなと思う。

 

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みなさん知ってましたか?ポテトサラダに酢を入れるとプロ仕様になって美味しいです。

 

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野菜の揚げ浸し。このナスのテカり具合を見てください。

 

 

銭湯について思うこと 

ところであまり関係ないんだけど最近銭湯へ行ってきました。みなさん銭湯は好きですか?私は温泉ではなく銭湯のほうなんだけどあれがどうも苦手だ。こどもの頃からそうで、婆ちゃんと一緒に行った近所の銭湯もなんか異様な感じがしてどうにも慣れなかった。そのどちらにも食事スペースと休憩所が設置されていて、風呂というよりもこれがあるからこそ来ているような人も沢山いるのだと思う。こういった場所で人びとが望んでいるのは家の、居間にいるときのような過ごし方で、そこでは家庭のプライベートな話やだらっとした姿もなにもかもが無礼講で垂れ流しになっている。つまり人間が完璧にオフでいる時の姿を見なければならないのだ。いったい何故、生活感ありあまる姿を晒して平気でいられるのかが不思議である。「家じゃダメなのか、?」とおもう。いるのはおばちゃんや年配の人、家族連れが多いかと思いきやカップルや若いグループもけっこういる。人間がだらだらしている姿、キャハキャハしているのに対して挨拶も目線はずしもなしで居なければならないことを要求されるスペース「銭湯の休憩所」がわたしは苦痛なのである。だいたいあんなにも混んでる空間にいる人間は、今まで過ごしてきた学校や会社のようななんとなく似た統制の取れている人達とは違っていて、もちろん危ない人もいるかもしれないし、痴漢的な視線を注いでくるような変態も混じっているかもしれない。怖いと思う。だから私は銭湯にいくとむしろ疲れる。けど他の人も皆必ずしもリラックス出来てるんだろうかと思う。それは郷に入っては郷に従えのような諦めとともに「疲れない。むしろリラックスしている」という暗示をかけられている状態なのじゃないかと思ってしまう。電車などで女子高生たちがワイワイ「また」広げて話していたとしたらその姿と図太さに大人達はいろんなものを掻き乱れて思わず俯きがちになってしまうと思うんだけど、わたしとしては銭湯にいる間そういう気分で過ごしているような気がする。

銭湯っていうかリラックススペースのようなところが。

 

 

漫画を借りた

ところであとは漫画を借りてきた。本当は一週間くらい前にも漫画を借りるためにツタヤを訪れたんだけど、10冊700円という価格設定に対してびっくりしてしまい何も借りず帰ってきてしまいました。ゲオだと10冊で600円です。600円と700円の違いは重い…600円だと脳が「500円ちょい」と解釈してくれるのに対して700円だと「おい!あれもこれも買える!ぶーっ!ぶーっ!ぶーっ!(警報)」となってしまう。ゲオにおいてはさらにレジでアプリを見せたら半額になったのでうはうは借りてくることが出来ました。

借りたのは

・インベスターZ

山賊ダイアリー6、7巻

・忘却サチコ

です。

 

 

インベスターZ(1)

インベスターZ(1)

 

 

株の話です。だいたいカイジのようなテンポで話が進んでいく。ビギナーズラックとか色々と勉強になります。今二巻を読み始めたばかりなんだけど部長の神代がわざわざトリッキーな事ばかり言い主人公を痛めつける嫌な奴だと思ってたのが、神代を「S」とおき主人公を「虐げられ、それでも頑張る女子」と置き換えると何もかもが「スッ」と入ってくるようになりました。

 

山賊ダイアリー(7)<完> (イブニングKC)

山賊ダイアリー(7)<完> (イブニングKC)

 

 

山賊ダイアリー好きです。ここに書かれていた、作者が猟を続けるにあたって色々な考え方の変化が生まれてきたということが、7巻で終わってしまう理由だったのかなあなんて思っていたら巻末に「山賊ダイアリーSS」の予告が載っていたのでその辺はよく分からなくなりました。けど山賊ダイアリーを読んでいるってだけでも色々なことを言われたりした(何が良いのか分からない。臭い。ジビエどうたらこうたらほか)ので作者に対する声とかでも色々とあるのかなあと思います。

 

忘却のサチコ 1 (ビッグコミックス)

忘却のサチコ 1 (ビッグコミックス)

 

 

料理本が好きなので色々と立ち読みはするんだけどよけいな話が多くて全然いいのがないなか、これは面白かった。ギャグテイストなんですが主人公のせいで話がどんどんずれていくっていうような感じです。

なんとなくだけど漫画って筆者が女性か男性かでもだいぶ違いますね。それはいわゆる少年漫画、少女漫画というくくりでの違いかもしれないけど、女性やオタク度が高い人が書いたものの方が客観視できてないぶんギャグとかではあまり冴えてないのが多いと思う。これは面白かったけど作者が男性でした。

 

なんだかんだで色々と書いていました。それではおやすみなさい。

わたしの中のキッシュ

私がはじめて「キッシュ」という料理を食べたのは恋人の母親が作ってくれたものだった。私には持病があり、当時はそれが重くなったせいで仕事も生活もままならなくなっていて、けれど実の母親を呼ぶのが嫌だった私にどんな経緯を経たのかわからないけれど当時付き合っていた恋人の母親が手伝いに来てくれるということになったのだ。私は「赤の他人と過ごさなければならない」という唐突なプレッシャーと共に自身の健康も人生も、決して自分の思い通りにはならないんだということを思い知った。

その人が、数日目に自宅で作ったキッシュをタッパーに入れて私の家まで持ってきてくれた。私は使い込まれた質の良さそうなタッパーに面積少なく盛られていたキッシュを見て「これは何ぞや」と思った。キッシュはおかずなのかそれとも「ケーキ」「パイ」みたいなおまけ的なものなのかぱっと見分からなく、一汁三菜という和食のパターンだとどこに属するのかもよく分からない。わたしは混乱した。その彼氏の母親が帰ってから、一人の部屋で生まれて初めて食べたキッシュはとても美味しく、他の家ではこういうものを作ってくれる人がいるんだと思った。私の母親だったら私が遠い過去に一度だけ「美味しい」って言ったラフランスをいっぺえ持って来て、人の家で散々ガヤガヤしたあげくそのまま去っていくようなところがある。

私の実家は比較的保守的な家だったため、こういう外国っぽいおしゃれな料理はほとんど出なかったし、外食も一切しない家だったからハッピーセットが何たるかもよく知らなかったし風月にも高校生になってから初めて友達と一緒に行った。いつだったか私が「グラタンが食べたい」と言ったとき、母が作ってくれたのはシチューの上にチーズを乗せて焼いたものだったのを記憶している。当時小学生だった私はそれに喜び過ぎたせいで「好きなものを最後までとっておく」という貧乏くさい癖でそのグラタンをラップをかけたまま取っておいたのだ。夕方、友達が帰り、仕事を終えて帰って来た母親が手の付けられていないグラタンを見たときには当然すごく怒られた。「なんで食べてないの!!」と言われて、ただグラタンが嬉しかったから、、、という答える術すら持たなかった幼い私を思い出すとなんだか「切ない」と思ってしまう。私も、わたしんちも、どうしようもなくダサい。

初めて食べたグラタンには煮えていない玉ねぎとマカロニがたくさん入っていて、「こんなもんか」と思ったけどそれでも美味しくて嬉しかった。実家から出て一人暮らしをする前からわりと料理をする方だったと思う。それは今思うと家では食べられないものが多いからっていう理由だったのかもしれない。

 

とにかくそんな感じでキッシュはわたしの中に「少量しか食べられなかった、めずらしくて美味しいもの」として記憶されているのだった。

最近になって色々と調べてみたけどキッシュっていうもんはなかなか作るのが面倒くさそうである。まず、具の下に敷く小麦粉で出来た生地が必要で、それから生クリームも必要なのだ。ということは完璧に「ハレ」の料理である。予めこれを作ろうって決めてスーパーに行かなければならない。冷凍パイシートはそんなに安くもない。キッシュはわたしの中でいつも「先延ばし」にされている事案だった。いつか作る、いつか、いつか。

 

それを今回やっと作ってみました。私も冷凍パイシートを躊躇なく帰るくらいいつの間にか大人になっていました。

 

まず購入したのは

・冷凍パイシート

・生クリーム

です。あとは芋、冷凍のほうれん草はもともと買ってあったものを使った。よく考えてみると正確なキッシュはパイシートではなかったのかもしれない、、、。記憶の中のキッシュはサクサクしてなかったけど自分で作ったのはサクサクしていました。

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出来たのはこれです。見た目も華やか!

食べてみて、「うまーい!」と思った。卵、チーズ、クリームで出来た生地にしっとりしたパイ生地が合わさっておいしい。が、これをおかずとして他にも肉、それから副菜、ご飯を食べているとキッシュは5センチ四方も胃に入って来ないじゃありませんか。

そういえば、レシピの中に「牛乳と、生クリーム」って書いてあるものを、「せっかく生クリーム買って来たんだから」と全て生クリームに変え、自己判断で贅沢な「全生クリーム」キッシュを作ってしまったのだった。おまけにイモと、パイ生地。いくら美味しくても超高カロリーなものを一定以上、がんとして受け付けない胃に私はほとんど初めて直面して、面食らった。

こんなに手をかけ、金をかけたいかにも美味しそうなキッシュを3センチの立方体ぶん食べただけで、わたしはしばらくソファから起き上がれなくなってしまった。胃は、完全に「もうキッシュいらん!」と言っていた。

 

横になりながら私は過去の思い出までさかのぼり、やっと「あ!そうか!だからあの時のキッシュは少量だったのか!」と合点が行ったのでした。キッシュは少量でじゅうぶん。けどお母さんの愛情と「おもてなし」の精神がなみなみに注がれているおしゃれでかわいい料理です。

 

リトルウィッチアカデミアを見た②

リトルウィッチアカデミアをまた見ました。

ストーリーは、魔法学校で勉強をしている主人公のルームメイトでもあるスーシーが、キノコをたくさん収穫するための薬を作りだし、それを自ら実験体として飲んだことで眠りから覚めなくなってしまうところから始まる。それを助けるために主人公ともう一人のルームメイト、ロッテが協力しあい、ほぼまともに魔法の使えない主人公は魔法道具屋の娘として育ったロッテから魔法をかけてもらいスーシーの体内(記憶の中?)へ導いてもらうというお話。お話の大部分はこの「スーシーの内側」が舞台となっていたんだけど、哲学的な話になっていて面白かったです。

スーシーの体内に入った主人公は、そこで色々なスーシーの姿を目にします。漫画で出てくるような葛藤を描いている天使と悪魔、それから色んな性格や、好みを持つスーシー。色々なスーシーは自然発生的に生まれるものとして描かれている。新しいスーシーは、何かを目にするたびに「こうなりたい」「こうしたい」そういった感情が自然と生まれるの人間を表していて、無限に生まれる感情を全て自分のものだと解釈しているのではなく本来「人はみんな自分の中の自分を殺しながら生きている」のだという。ここからが独特な所なんだけど、オリジナルのスーシーにふさわしくない「自分」は裁判所で死刑判決を受けて、抹殺されていく。途中で主人公はおとなしくて優しそうな女の子のスーシーを助けるんだけど、それでお話がめでたしめでたしとなりそうなものが、それで終わるわけではなかった。そのスーシーは一般的な良心に即していないスーシーだったのに主人公は気づかずに助けてしまったせいで、小さな女の子が突如、化け物に変わってしまうのだ。この展開はなかなか怖い。

物語ってこういった「こわい」「よく分からない」「闇」みたいのが存在していて、それは人間の生命や世界の不思議にも繋がっている。それは欲だったり、自然だったり、他人や社会だったりするのかもしれなく、それに対して裁量を与えるなんてことはできず、一人一人が折り合いを付けてやっていくしかないんだなあと思う。それは日々内部でも起きているんだ、と言われればそうかもしれないと思う。しかも「それは自分らしくないから」のような理由からだったりして、だったら、一体その「自分らしさ」なんてものは誰からどの時点で与えられたものなんだろうと思う。もしかすると親、友達、自分に価値を与えてくれるのはいつもきっと他人なのだ。闇や悪魔、それは人間の持つ一面でもあるし、そういうものが描かれているのがアニメや絵本なのかもと思った。

主人公が助けた女の子が本当は化け物で、混沌を喜ぶような性質を持っていた、ということで物語は転じるわけですが、こんなふうに良いと思ってやったことが仇になるというのは現実でもあって、その都度自分が正しいと信じていたことが後になってまったく別物に変わってしまうとか、無駄になるなんてことはないわけではない。その度にそれはもしかすると正義なんかではなく自分勝手だったのではとか、味方した人はわたしにとっては良い人じゃ無かったんだなんて思って勝手に落ち込んだりしてしまう。何かを思い通りに動かしたいという欲求があることは事実で、それはいったい善なのか悪なのかよく分からなくなってしまう。

 

この物語のリアルなところは主人公が必ずしも万人から受け入れられるような子じゃないというところだと思う。ずるいところもあるし、いつも正攻法なわけじゃなく、どちらかというと落ちこぼれの部類だ。まだ、何も身につけてない子どもでしかない。だから気持ちと直感だけで生きているようにも見える。この物語の主人公は見ている側を感情移入させるために泣いたりするわけでも無く、怒るわけでもなく、けど、岐路に立たされた時は一人でちゃんとやってみようとする。だからなんだか、見ていて頑張って欲しいって思うのだ。

短編小説の集い「のべらっくす」『青春』

【第27回】短編小説の集いのお知らせと募集要項(※必読) - 短編小説の集い「のべらっくす」

 

 

学生だったころの女の子は皆、ひとつのかたまりの中に存在して居て、一人一人の意思があるのか、ないのかも明白ではなかったから、だから幸子もそんな風に周りの子と同じように色んなものに憧れたり、騒いだり、熱を上げたり冷めたりしていて、そういう幸子が初めて恋と呼べるようなものをしたのは中学二年生の頃だったように思う。幸子にとって田中は初め、目立たない、ごくごく普通の男子生徒でしかなかった。思い返せば田中が国語の授業で当てられた時に口ごもってクスクス笑いが漏れたことがあって、そういう時幸子は「私はこういう人は好きにならないだろうなあ。」と思ったのだった。幸子は友達とともに学校祭を歩いて周り、友達と憧れていた先輩からアイスクリームを買って戻ってくることを三度もやってのけたし、体育祭では名前も知らない人の試合に何度も連れて行かされた。そのうちに、なんだか自分もその人が好きになってきたような気になるのだった。三年生の廊下を歩くのは幸子の意思ではなくて、大抵は誰かに付いていく肝試しみたいなもので、けど自分達みたいに体育系の部活に入ってない子達が声を掛けられるなんてことはなかった。ただ後で持ち帰って、お弁当のときの話のネタにするのだ。誰々が付き合ってるのはその友達の元カノで、声を掛けられたのは◯ちゃんで、とか話しては「えーっ」なんて声をあげているけど、「それ」が自分達の元に訪れることはないのは明白だったし、そういう子がその場にいない事にも安心しきっていた。体育の授業は嫌いだった。そもそも運動が得意ではないし、色んな道具を持って来なければならないのが億劫で、それでなくても忘れ物の多い幸子は、気の利かない(と自分では思っている)母親は声をかけなければ洗濯物してくれていない体操着や、体操シューズを揃えて体育のある日に用意して持っていくだけでも時々は忘れてしまって、そういうときは隣のクラスの、あまり仲良くもない知り合いから変な匂いのする体操着を借りてきて授業を受けなければならなかった。なんだか自分がエゴイストになったような気分で、見当違いに体育の授業も、教師も嫌っていたこともあった。それでも幸子の忘れ物の癖はなくならなかった。ある時また忘れ物をした幸子は放課後、記録をつけたプリントを持って体育館の横にある事務室へ一人で訪れた。友達の言葉を借りると今自分は「うんざりするような状況」にいるのだと幸子は思った。幸子が教師と話を終えた後で「待ちなさい」と声をかけられて、幸子はやっぱりだと思って立ち止まった。体育の教師はだから嫌われていたのだ。そうしてドアの開け方と、挨拶の仕方のやり直しをさせられて外へ出たのだけれど、その一件で幸子は真面目な生徒だと見做されるようになったようで、授業中も運動能力の無さよりも頑張りに注目してくれるようになった。実際幸子は真面目といえば真面目な生徒だったし、不真面目だといえば不真面目な生徒だった。中学一年生の選択体育では柔道を取ったから、女子三人と男子生徒に混じって柔道をやらされた。あの時も、自分にとって田中をただの男子生徒の一人として見ていたから、その中の一人でニョロっと動く、とかげみたいな佇まいの影しか記憶に残っていないし、ましてや話なんかもしていない。幸子が見ていたのはむしろサッカー部の大谷くんの方だった。ごくごく一部の女子生徒から「ピー助、ピー助」と愛称で呼ばれてからかわれていた木村くんを、幸子も可愛いと思っていたからだ。自分がどんな人を好きになるのかよくわからなかった。姉が好きなロックバンドを自分も好きだと思い込んで何度も聞いていたし、目立つ子、意地悪をしてくる子、話がうまい子、そういう子のことを単純に好いてたように思う。

田中のことを「気にならない人間の一人」と考えだした時から、だいぶ日が経っていた。体育祭が終わり、学校祭が終わり、その花火をクラスで並んで眺めた。幸子は塾に通い始めた。姉のせいでごたごたのあった塾に妹の幸子が入ることを、始め母親は快く思わなかったけれど姉と比べると成績の良くない幸子に落胆した母親は、幸子を塾に入れるを選択した。幸子は「そんなもんか」と思ったし、ごたごたのあったその理由も聞かなかった。家族皆が見えないことを置き去りにしたがっていることを知っていた。夏から秋に変わる頃、クラスメイトの名前だけでなくて、もう性格も交友関係もはっきりと出て来ていて、幸子はその中で自分と田中は似ている部類にいるのだと思い始めた。まるで反証を先に得た後で意思を持ち始めた物事のように少しずつ幸子の中で田中の存在は色濃くなってきていた。その時からどうして田中がいつも赤いものばかり身につけているのかとか、田中の交友関係の中に誰がいるとか、当てられたときのそぶり(いつもはにかんで、そういう仕草を可愛げに見る先生も何人かいた)を考えているうちに、田中と日に何度も目が合うようになった。ある時は帰る前に五回も目が合ったこともあった。夢に田中が出てくることもあった。特に何をするわけでもないけれど、互いにずっと以前から知っていた関係のように話をしていいて、親密な空気は目が覚めた後も消えなかった。幸子はそれを誰にも知られたくないこととして胸にしまっていった。冬から春にかけてだんだんと日が長くなってくる最中で朝目覚めた時に突然、春の訪れとあたたかさを体の奥の方から感じることが幸子はあって、そういう時は時間がやけにゆっくり流れているような、自然とひかりが満ちていくような気配を感じるものだった。幸子は暦の動きはよく知らなかったけれど、毎年毎年その気配を感じているうちに、きっとその日が季節の変わり目なんだろうと思うようになった。田中のことはその時の感じに似ていた。少しずつ少しずつ田中の存在が自分の中に入り込んできて、それが満ちていったような。

友人のまさこは幸子といつも一緒に居た。同じクラスになってからはじめは別々のグループに居たのに、いつの間にか話すことが増えて、二人で交流するようになっていた。まさこは柔道を選択していなかったから、そんな幸子のことを「信じられない」と言った。幸子からすると信じられないのはまさこの方だと思っていた。男子に混じって柔道をするよりも、皆の前で踊ったりリズムを取る方がずっと恥ずかしい。まさこは髪が長くてあっさりした口調で話すような子で、それから兄がいた。まさこの雰囲気がどことなく幸子と似ているような気がしたのは多分お互いに妹だからだろうと思った。まさこはあらゆること、とくに人間関係のことにおいて幸子よりも先に色んなことを感じ取った。まさこの「憧れの人」はたくさんいて、はじめ自分達を結びつけたのはそれがきっかけだったように思う。クラスの中にいるのは垢抜けていて勉強も出来る人達、それから図書委員とか放送委員とかみたいなちょっとオタクが入っている人達、そのどこにも属さないし、まだ「オンナ」にも属してないような、はっきりした言語で話さない、グループもてんでバラバラなのが私たちで、その中でも幸子もまさこも幼かった方だと思う。だから共通の言葉を使うように、あからさまに恥ずかしくなるような憧れを口にして、その時間にしか訪れないようなことを楽しんでいた。二人は自覚的に中学生で居たのだと思う。まさこは幸子に色んな事を話した。クラスメイトのこと、女友達のこと、先生のこと、家族のこと、ありとあらゆること。幸子もそれを聞いて、それからその半分くらいお返しを返すように自分のことを話した。まさこは「ふうん」とあまり気が乗らないような感じで聞いていた。

幸子はいつも一人の時間ですること、本を読んだり、音楽を聴いたり、自分の好きなもの、テレビで見て思ったこと、日記に書いてることや絵を描いたりしてること、そういうことを、いったい誰と分かち合えばいいんだろうと漠然と考えていて、それはほとんど言葉にならず、けれど決められたクラスや塾やそういった社会で生きなければならない事に対する不満や、それをもっとよい場所があるのだという転換によって自覚的でいたのだった。世の中にはもっと気の合う人がいて、もっと自分にあった社会があるはずだった。それは時々親や学校への不満として言葉になって出てくるのは、周りのクラスメイトも多かれ少なかれ同じようで、その中でまさこもまたそうだった。友達と自分達の差異やおかしさにまっ先に気がつくのはいつもまさこの方で、それは幸子が先に口にしなくとも「なんとなく」思っているような事だったから、それに頷いてみせる幸子を、まさこはどこか自分よりも幼いものとして見ているようで、それが時々窮屈に感じられたのだった。

 

幸子が田中を意識するようになったことを、だからまさこにも、誰にも言いださないでいた。そんな自分を特に不思議とも思わなかったし、実力行使することの出来ないのが自分だと思い込んでいた。それをやっていいのはクラスでも限られた人達だけなのだ。

ただ一人だけ、ずっと大人しい澤村さんに話したことがあった。澤村さんの好きな人を聞いた後に、幸子はいったいどんな反応をするのだろうという期待を込めて話してみたのだった。澤村さんは委員長をやっていたから、その部室に時々幸子も遊びに行っていて、そこにある人間関係をなんとなく把握していた。お互いにそれに対する感想も感慨も持っていなかった。澤村さんは「本」みたいな雰囲気の人で、本当は誰とも一緒にいなくてもいい人なんだろうと幸子は思っていた。澤村さんは、他人と接する時に途端に不安になるようだった。だから幸子はまさこにいる前よりも自分が饒舌になった。まさこだったら口にするような批判も、嘲りも、きっと澤村さんだったら言わないだろう。

幸子は田中のことを話した後、自分で思ったよりもずっともったいぶって話している自分の姿と、期待したよりも反応のない澤村さんの態度にがっかりした。それはまさこと隠れてバレーボール部の先輩を見ているときのように、わくわくする時間ではなかった。澤村さんの口から、誰か他の人に漏れてしまわないか途端に不安になり始めて、幸子はすぐに話したことを後悔した。

帰ってまた幸子は一人で音楽を聴くためにラジカセのスイッチを入れた。「だから」何をするわけでもないし「だから」どうして欲しい訳でもない。ただ自分の感情を持て余しているだけなんだと思うと、自分がまさこに対して抱いていた窮屈さが正当化出来たような気がした。幸子も、まさこも、単に同意を求めていただけなのだ。それをしてくれない澤村さんを、野暮だと思うよりもそんなことで自己主張する卑怯者だと思った。けれど、自分が「秘密」めかして伝えたかったことは一体何だったんだろう。自分達はとてもちっぽけで、ばかみたいに思えた。それから、この場所は窮屈なんだとより一層感じるようになった。

けれど単なる中学生に日常を打破することなんてことは出来もしなくて、幸子は毎日、塾に通ったし、予習をしてから学校へ行ったし、学校では田中を盗み見して、体育の授業では目を追っていた。田中が大谷くんと同じサッカー部だったということはもう知っていた。そのうちに自分より田中のほうがこちらを見ているのだと気が付いた。二月に入って、もうクラス替えの時期だった。まさこの友だちが、バレンタインデーに誰かにチョコレートを渡したという話をなんだか人ごとのように聞いていた。それくらいに思い詰める気持ちを、幸子はまだ知らないと思ったし、それともそれもまた幸子とまさこのように、分かち合いたいためのイベント的なものなんだろうかと思った。笑い合う女の子達は可愛くて楽しそうで、けれどそこに入る手段を持たない幸子はそれを「うらやましい」と感じて見ていたのだった。

 

十年後、幸子は恋人と薄暗いバーから出てくる所で、田中とよく似ている人とすれ違った。田中は、女の子と一緒に笑いながら話していて、背格好も動き方も変わっていなかった。けれど大人しい彼の唯一の自己主張のようにしていた赤いものは身につけていなかったし、幸子には気が付きもせず、一度も目を合わせいまま、店の中へ入って行った。

リトルウィッチアカデミアを取り敢えず見た

アニメの「リトルウィッチアカデミア」を見た。どうしてこんなのを見ようと思ったのかというと自分でも分からないけど昔のアニメにあったものを求めてたのかなと思う。私はとにかく「軽いもの」が好きだ。ドキュメンタリーやドラマとかと、面白そうだなと思って録画したとしても重すぎる空気を感じ取って再生することなく消してしまったりする。とにかくメンタルが弱い。

で、観たんだけどまあまあだった。今回は十何話目かで途中もいいとこだったんだけど、話の内容は、落ちこぼれの魔法使い見習いが、エリート選りすぐりの魔法学校の中でかつて見た憧れの魔法使いのようになるために奮闘する、みたいな感じで、主人公は全くもってダメで成績も悪く学園追放かというところまで行っているのに全然へこたれない。無鉄砲さと明るさはワンピースのルフィみたいな感じ?けどちょっと違うのはのび太みたいに本当の落ちこぼれでしかないっていうところだった。正義感があるわけでもない、頭がいいわけでもない、優しいわけでもない、周りの生徒が何かに秀でているのに対して、「自分は何も持っていない」。

こういう、私ってなんなの?私のいいところってなんなの?という問題は、小さい頃からずーっと付いて回る問題で、そうだ、私も誰かからそれをもたらされる日を焦がれていたような気がした。誰かから私を特別なものだと認めてもらって、そこから私のちゃんとした人生が始まるんだ、っていうような無意識の希望的観測というか。主人公はけど、劇的にすごいことをするわけではない。途中でまた失敗をして、それを取り戻すために奮闘してととてももどかしくて、ぜんぜんうまく行く気配もなければ、彼女がいい子にも見えなくて、なんだか現実みたいと思ってしまった。最後にその失敗で彼女がしでかしたことに対する評価をしてくれる人が現れて、彼女がやっとその、学校から追放されるのを免れるわけなんだけど、その理由もそれほど劇的なものというわけでもない。それは彼女が出した単なる、ちょっとした勇気をたまたま評価されたことなのだった。けど生きていく上でこういうのは必要で、案外肝心な場面でそういう勇気を出すのをなまける癖が付いてしまっていたりする。一体その差っていうのは何なのだろうか。大事なのは今、さっきでも明日でもなくて、今、「ここ」なのだ。答えが欲しいのは今。助けて欲しいのは今。それを逃してしまうか、離さないか、たったそれだけで人と人は繋がってるんだなと思う。

それから、私ってなんなの、私のいいところって何なのともがくのが若者な訳だけど、そういう葛藤を超えて自分の役割を見つけ出すことが社会で大人になるということなのかなと思った。役割は常に社会のなかにいる誰かから自分のために「はい」ともたらされているものであって、それをちゃんと「ありがとう。がんばります」っていう態度で居ないといけないのだなと思った。私のいいところも、役割も、自分で主張しているだけじゃダメなんだ。それはいつも、ちょっとだけ勇気のある他人から運良くもたらされているだけのものだったのだ。勇気っていうのは、何も断崖絶壁で何かを救うっていうパフォーマンスのことではない。ただその他大勢の仮面を捨て、個人として正しく振る舞う、それだけのことでもあると思う。