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つぶやき、料理、日記など

8/15日記

毎日疲れる。朝起きて、働いて、帰ったら家事をして、ご飯を食べて寝る。その繰り返しだ。余計なことに頭を働かせていたせいですごく疲れている。心配事や不安に対して、気分を吐き出さないままで突っぱねているうちに心が鬱々としてきたようだ。何も見たくない、聞きたくない、一日中外界が鬱陶しい気分でいた。あー本当にだるい。街を歩いていたら「占い十分千円」という貼り紙があって、けっこういい金取るなあと思った。催し物の近くにあったので人の入りもあるのだろうか。カップルがちょうどそこの席に着きそうな感じだった。けど一時間ばんばん入るわけはないだろうけど、午前中五人、午後五人入ったとしても一万円は稼げる。そう考えると私の仕事と大して変わらないような気がした。もっと頭を使って仕事を選ばないといけないのかもしれない。いっぱい時間を費やして、身を粉にして働いて、、という価値観に浸るのは悪くはない。けど、もっと遠目から見ないとだめなのかなあと思った(思っただけ)。

所用で税務署と市役所へ行った。街の中にある場所だ。こういうところで働いている人達は幸せなんだろうかと思う。そこにいる人達は、わりと普通の人達だった。スタバとか携帯の販売所みたいに選りすぐった人達でなくて、わりと近所にもいるようなおばさんとかもいて、もしかするとパートの人もいるのかなあと思ったりした。怒ってる人もいた。いや怒ってはいないが、口調が急かすような感じになっていた。まあそうなるよね…毎日それをやっている人からしたら、そこにほぼ初めて訪れた私たちはさながら愚鈍な園児たちなのかもしれない。カウンターの人は、私の出した書類の未記入のチェックと、本人の照合をする。指差し確認を一生懸命している人を見て、ああ、ご苦労さんだなあと思った。私も以前こういう事務作業をしていたし、求職のときは一般事務で探していたんだけど、今そこから離れて、こうやって遠くから見てみるとその作業に面白みなんてものはなく、間違えてるか合っているかの確認をするだけの繰り返しで、きっと毎日毎日これをやってたら「お前が誰だろうが何だろうが、知らねえよ」って気分になってしまいそうだと思った。おばさんは優しい口調で、伺うように話すので、きっとここでは訳わかんないことで怒る人も多いんだろうなあと思った。ああ、いやだ。いろんな人が集まる場所は、混沌だと思う。奇異な服、わけわからん帽子、赤い唇、子供に舌打ちしてしまえる精神性、イライラを我慢しなくなった人たち、興味深々の目、ああいやだ。何もかも嫌いだ。気付くと早く街から帰りたいでいっぱいになっていた。昔っから慣れない空間が苦手で、しかしこれは誰もがそうだというわけじゃないらしい。私の友達や、甥や姪がすんなりそういう新しい場所になじんでしまうのでびっくりしてしまうんだけど、私はまず建物の雰囲気からして最初からは溶け込めないし、慣れるまでは時間がかかる。オフィスの、無機質な感じは未だに異質だと感じる。一面灰色で、機械音だけ「おーん」と聞こえるような感じに、でも私だから「でてけ」と言われてるように感じてただけなのかも。朝、誰もいない空間にいて、いやだいやだと思いながらいつも準備していた。なんかそういうのが自分の場所になるまで過ごした事がなかったから、そう思うだけなのかもしれない。今いる場所はけっこう臭くて人の気配がする。

ミシン初心者がミシンを買う

事情があってミシンを買った。あるイベントに使うための衣装を作らなくてはならないからである。ミシンでなくて裁縫だったら過去に何度かやったことはある。そのたびに「この作業、ミシンを使ってやったらどれだけの時間短縮になるのかな」と考えてはいて、しかし手作業だと30センチの布地を縫うだけで軽く1時間掛かったりとかする。かつてはそれを笑いにしながらも、でもどうしてもミシンを買おうという考えにまでは至らなかった。持たざるものとしてはその、ミシンを持つまでの扉というのが非常に硬かったもので、ミシンを選び、買い、それを身に付けるというステップが自分からしたらある日突然バスの運転手になるくらい取り留めもない状態に思えていて、だからそんな無理をするくらいなら今ここにある「針に糸通して」縫えばいいじゃんと結論づけて生きてきたのだ。

とにかく三十年余生きてきて初めて自分のミシンを買うことになった。私は「ぜったいにぜったいにそうしないとダメ!にっちもさっちもいかない!もうこれいじょう一歩も動けない!」という必要性が生まれたときに初めて動くような人間なんだなあと思う。いわば化石である。たぶんあの時からミシンを持っていたら1日くらいは軽く時間が戻ってくると思う。

まず電器屋に行った。ブラザーとジャノメというブランドが目に付いてそれが有名みたいである。値段は一万ちょいから三万、四万くらいのまである。けれど店員さんに聞くとそれなりの機能が付いていれば十分で、高い製品を買う必要はないとのこと。そうだよね。というわけで二番目くらいに安いジャノメのミシンを買った。たぶん一番安いぼろっちいやつは誰も買わないが他の商品をよく見せるために置いてあるのだろうと思った。そのミシンとブラザーのやつで迷ったんだけれど、ジャノメの方は説明のDVDが付いているということだったのでそちらの方にした。おばさんはミシンのことをよく知っているみたいでわたしが「ほぼ初めて使う」ということを伝えるといろいろと説明してくれた。おばさんがミシンの針の下にあるフタを外したり「上糸、下糸うんぬん」というのでなんとなくこういうのあったかもしれない、ということを思い出したりしていた。※ここで、「下糸を自分で用意する」ということを知る。何かその知識でミシンの構造を理解したような気持ちに何故かなった。

 

 

JANOME コンピューターミシン 「説明DVD付き」 JN-51

JANOME コンピューターミシン 「説明DVD付き」 JN-51

 

 

不思議なことにミシンを買って帰ってからも二、三日は開封する気が起きなかった。こんなにも近くにいるのに、わたしとミシンとの距離はまだまだ遠く離れていたのだ。ミシンが全然分からないわたしは夏休みの宿題に手が付けられない小学生のようにミシンを読み解かなければならないことが億劫で仕方なかったのである。
でも期限は迫ってくる。単なる趣味とかでなく今回の場合わたしが衣装を作らなければ困る人たちが明らかにいるので、とにかくわたしは期限の5日前に動きはじめた。

1日目、DVDではなく紙の説明書のほうを読んでみた。細部の名前、注意書き、使い方、書いてあるけれど、あかん、あかん、意味わからん。全然入ってこない。五分で説明書を閉じてその日は眠ることにした。(ちなみに説明書を読み始めるまでに突然はじめた部屋の掃除の方は結構はかどった)次の日、ミシンのことを覚えていたにも関わらずさんざん先延ばしにし、結局やっと寝る30分前くらいに説明のDVDを見てみることにした。
で、DVDはやっぱりわかりやすかった。こういう、初めてのこと、機械の使い方に対して「百聞は一見にしかず」は正しいんだと思った。思うに説明書の方だと情報全てが箇条書きで書かれている状態なので、「これがミシンの構造だ」「これが心臓だ」「これがしてはいけないミスだ」のようなアンダーラインが全くないため情報処理がいきづまり頭がパンクしそうになるのだと思う。そんなわけでDVDのおかげで一度も引っかからずに下糸を作ってセットし、それから上糸もセットして試し縫いもすることができた。よかったー。
ちなみに今回知ったミシンのこと
・上糸と下糸がある
・下糸は、自分で作る
・糸の流し方が複雑だけど、説明通りに引っかければ間違えることはない
・返し縫いというものがある

もうここまでくると心も晴れ晴れ、衣装にはまったく手をつけていないんだけど50%くらいはクリアしたようなもんだと思う。今度からはこういうふうに、憂鬱なことに対して一度でカタをつけてやろうとは思わず段階を経てちょっとずつ手をつけていけばいいのかもしれないと思った。宿題にしても、毎日やっていけば必ずいつかは終わるものなんだから。
それではみなさん、おやすみなさい。

バナナケーキを作った

昨日は久しぶりのお休みだったのでスイーツでも作ろうと思い立ちました。作ろうと思ったのは、家にある牛乳とゼラチンを使ったミルクゼリー。そこに買っておいたみかんの缶詰を入れようと思ってたんだけど、ふと下を見てみると台所の床に、熟れきって黒ずんだモンキーバナナが置いてあるではないか。普段なんの考えもなしに生きているモードのときはそのまま丸ごとゴミ箱にぶちこみ「全て無かったこと」にするくらいいい加減な私だけれど、今日はちゃんと使ってみることにした。

モンキーバナナとホットケーキミックスを使ってバナナケーキを作ることにしました。一応夕食も並行して作ります。

まずは、バナナを全てむいてボウルに入れる。

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あと、ホットケーキミックス、牛乳、卵を混ぜる。

 

ホットケーキミックス250g

牛乳100g

卵2個

バター大さじ1.5

サラダ油大さじ2

 

くらいな感じで入れてみた。勘です。これは。モンキーバナナ剥いてみて思ったのは普通のバナナよりも黄色いということ。あとはタネが目立つな〜ってこと。

 

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クッキングペーパーを敷いたフライパンで焼きました。弱火で15分。

 

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膨らんできたよ。

 

 

しかし!ポップコーンの焼けるような匂いがしてきたので不安を感じ、フタを開けて見てみると案の定、というか思っていた以上に

f:id:tmtkkiy:20170705205816j:image丸焦げ!!

 

 

失敗しました!

でも、パン切り包丁で焦げ部分をカットして事無きを得ました。焦げてたのは表面だけだった。ポップコーンの匂いの正体は「焦げ」だったんだあ…みたいな

 

しっとりしたケーキになってほしかったので、ちょいあったかいくらいなうちからサランラップで包み込みました。

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この辺に来るとお菓子に対する「愛」が生まれて来る。あったかくて柔らかくて、毛布みたいでかわいいやんな〜おまえはな〜

 

 

で、完成で〜す

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食べて見た感想→ちょっと甘さが足りないかんじだった。ハチミツとか入れてみてもよかったかも。市販のホットケーキミックスにもじゅうぶん砂糖は入っていると思うんだけど、スイーツとして食べてみるとなんだか物足りなく思えるのである。いや、もしかするとモンキーバナナというもの自体普通のバナナより甘くないのかも。以前作ったバナナケーキはもうちょい甘かった気がする。朝ごはんとかにはいいかもしれません。

 

冷やして食べると美味しそうと思ったので冷蔵庫に入れておきました。次の日食べたらしっとり冷たくておいしかった!

持たザル

今日はイオンに行って買い物をして来た。車が壊れていてずーっとイオンなしの生活をしていて、それでもとくにもんだいはないと思っていたんだけど久しぶりにイオンへ行くと水を得た魚みたいに体がぱ〜ってなっていく感じがあった。なにもかもがそこで揃うし済ませられるっていうのがこんなにも便利なのかって思う。街よりもずっと便利じゃないの?と街を知らないネズミのように思う・・最初に入った店がsweatってていう雑貨プラス服みたいな店があったんだけどあるものが全部可愛くて「うわあ〜」って感じになってしまってそこから出られなくなった。ネックレスとかもそうだけど服って、街をあちこち練り歩いてもいいものが一つもない時はないのに、ある時は把握できなくなるくらいにあったりして今日もそんな感じだった。わたしのうろつきを見ていた店員さんが「服、お預かりしますか?」って声を掛けて来てけれたのでけっこう嬉しかった。雑貨を見ている間蔑まれている感覚が少なからずある35歳なのである。そのあと(服2着預かってもらった後)も雑貨やら服やら買った。Tシャツはサイズがでかすぎるのしかなかったけど、普通のトップス(っていうの?)はかわいいのばっかりでしかも値下げしていたから三着買った。

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どうやって着ればいいか分からないけどロング丈のTシャツを買った。

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ちょっと力をいれただけで引きちぎれそうなくらい繊細なデザインのネックレス。

かわいいでしょ?(ほほほ

 

結論からいえばイオンでの買い物は結局そこでの八割くらいだったのだけどその後も無印良品→カルディ→ヴィレッジヴァンガードに入ったあとその森から抜け出せなくなってしまった。

 

無印良品はでも筆ペンがほしいなあって思ったくらい。12色筆ペンとか…何なの?ほしい。「けど、何に使うの?」っていう問いに「年賀状」くらいしか出てこない感じがしたから買わなかった。この間無印で見たくてくての帽子(5000ウン円)は三十パーオフ以下にならなければさすがに買いたくない。結局は話題になっていたしゃもじとピーチのタブレットを買った。家に帰ってから食べたら美味しかった。無印良品はレトルト食品もいいんだけどその後入ったカルディとかと比べるとやっぱりちょっと高い。飲料とかもわけわからないのが揃っていてそそられるが買わなかった。そーだ、無印の子供服が意外と可愛かったから、ギフトとかにもいいのかもしれない。キュロットとかも手作り風なレトロな感じでかわいらしい。可愛らしくツボをついているものを見たとき「きゅんっ!」みたいなリアクションを取りたくなってしまう。絶対やらないけど、でも毎回「きゅんっ!」ってなってしまう。

そのご、カルディで紅茶とかチーズ買いたかったんだけど「どうせ一週間後には全てなくなる」となぜか急に思い始めたので何も買わないで出てきた。カルディで買ったものってのは結局生活には必要のない嗜好品100パーで塗りつぶされたものでしかないのだと思う。むかしTwitterでみつばっていう人が「カルディでうろつく女のケツに浣腸」みたいな下品なことを呟いていたんだけどなんとなくそのもやもやを理解できるような感覚が自分にもあり、その感情をなんと言うのか教えてほしいと思う。ヴィレッジに関してはいっつも寄ってはいるけど欲しいって思うものがほぼない店だと思ってたんだけど品揃えがちょっと変わったのか店舗によるものなのかわかんないけど欲しいものがいっぱいあってたのしかった。しば犬グッズとか置きます?普通。しば犬のクッションが圧縮された状態で置いてあったのでフリーズドライの野菜を初めて見たときのような気分になった。そこでイヤリングを買った。三百五十円のイヤリングをするのってどうなんだろうって思いながら買った。

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「kids」?

けど最近ネットニュースとか見ていても「プチプラ」みたいな流れがあったりするから今はそんな感じなのかしら。自分の来ていた服も今日は上千円下千五百円カバンは中古、みたいな感じだったんだけど貧乏性な自分からするとプチプラの流れは良いなあと思う。プチプラのものってなんていうか変なかわいさがあると思う。雑貨の延長とか、あとは「わたしが探してわたしが見つけてきた」みたいな愛に近いものがあるかもしれない。ヴィレッジで見かけたちょっとゴツメな携帯ケースが欲しくて、でもサンプルになっているやつの色が無かったので若い店員さんに「このサンプル品売ってもらえませんか」って聞いたら普通に断られて「でも絶対本当にダメな理由ないですよね」と思ったけどそれに従うしかなかった。あとでネットで調べたけどどうしても出てこない。こういうのってびびっと来るものが定期的に現れてそれを逃すともうまたしばらく出てこないんだよな。携帯ケースっていうものはそもそも高すぎる。三千円って、服買えるじゃん。でも少なくとも半年は使うと考えると別にいいのかな。
そんな感じだった。そのあと何故か行った公園で学生たちが野球をしていた。自分から見たら中学生も高校生も区別が付かないのだと思う。高校生だと思って見ていたら中学生だった。わたしはその前を通り過ぎて公園のトイレでウンコをした。その後ベンチで座ろうかってことになって広場へ行ったらあぶれた学生かわからないけどカップルの中高生(不明)がいて、なんかよくわからないけどムカつくなあと思っていた。ああいう頃って別に特に話題がなくってもものがなくっても、単に二人で居られるだけで幸せなんだよね、って思った。二人は別に普通にクラスで一緒になっただけなのに勝手に通じ合うものがあって、何もしなくても勝手に恋みたいなものが芽生えてきたんだろうなあと考えていたらけっこう腹がたつなと思った。どうして単に幸せそうなだけのカップルに腹が立つのか考えたりしてみた。それは、自分が何も持って居ないからなのだと思った。

出したの、お前だろ

今日仕事をしているとき、不意に素の自分が出てくることがあった。仕事場では、っていうか外では、自分が対峙しているのが「ひと様」という認識があるから、とくにに猫を被ってたり必要以上にへりくだったりしている意識があるというわけでもないのだけど、けどそういう理由から自然と背中がぴしっとしてしまう感じがある。だからわたしの外でのアイデンティティは「真面目で大人しい人間」であると思う。人畜無害、いてもいなくてもいい、でも「やなやつ」ではないよねー・・だと思う。多分。だから人に声かけるときもお母さんが電話にでるときくらいちょっと高めになっているし、返事も「はいっ」て答えてる。それなのに今日不意に、身内でいつも使っている「ハア?」っていう返事が口をついて出てしまうことがあってまじでギョッとしてしまった。その場では雷をうけたかのごとくショックをうけたあとで笑って誤魔化したんだけど、あの時のわたしの気持ち、なんだか正装して行ったパーティの場でバッグを開けたら小汚い靴下がごっそり出てきたみたいな気分で全然笑えなかった。てゆうか、笑いになってるんならいい。「うわっっ、、」ってちょっと思われただろうなあ・・。

 

何だかそんなことがあって、自分のなかの「なか」「そと」の自意識、知らないうちにこんなに区別をつけていたんだなーってことに気付かされて、やましいところがあるわけでもないんだけど、真実が突拍子もなく生まれ出たかのように自分が汚い人間であるように感じられてきた。そうだ、外でこんなにカッコつけていてもわたしは家では単なるオッさんじゃなかったか。とにかくそれくらい油断していた「ハア?」だった。ちなみにこれはクソ忙しいのに声を掛けられた時などに、細かいことを考えるのも面倒くさいのだがとにかくもう一度言う気があるなら言ってみろ、みたいな、発言すべてを一網打尽とするような「ハア?」である。

 

しかし素とか外ヅラとかいうけど皆それをどのように意識してるんだろう。わたしは他人からするとなかなか猫を被ってるように見えているらしく、けどもともとからしてあまり発言を要としない性分なのであるから親しい人からも「しゃべれ」みたいなことをよく言われる。その人たちに言いたいのだけど、わたしだって目の前にいるのがお前ではなく気の合う人間相手とだったらもっともっと喋るのである。「ただ」・・・まあいいや。で、学生のころののバイト場でも「もっと素をだしてみて。わたしたちも普段から素でやっているから」と呼び水とともにうながされたことがあったんだけど、その時は正直いって「何をいってるんだこいつは」という感想しか抱かなかった。
普通に、家と外は別モノだと思う。わたしだって家では鼻くそだって掘るし足も常に百三十度ぐらい開いた状態でもいる。それが一番心地いいからだ。素ってのはつまりそれだ。「他人の目」を視点に置いてない状態である。私も気を抜いているときはうるさいものに「うっせー」というし、かわいいものに「かわゆいんかわゆいん」ってしたりしているがそれを外の人に見せるわけになんかはいかない。そのことを当たり前としか思えない。そもそも素でいるひと、素がいいと思っている人に対して「この人、気持ちのいい人だなー」って思ったことなんてのは一度たりともなく、そういう人間てのはこっち側の調・不調に関わらずいつでも・どこでも・朝から晩まで・勝手に怒ったり悲しんだり喜んだりほぼ気分で行動するしあげく自分の話しかしないし、つまるところ突き詰めれば周りの我慢の上にあぐらをかいて生きているようにしか見えなかったのだった。
そう言う自分は母親にすら素で接したりなんてしない。もしも素で接しようもんなら話の半分以上を聞き流してマンガを読んでるか昼寝をしていると思う。っていつか、ここまで書いててなんだか分からなくなってきた。「なんなの?素って?」素って自由な状態のこと?本当のじぶんのこと?・・・・・

・・・・・

 


まあそんなこんなで、自分のわがままを出せる場、それを許してもらえる場なんてのは家族以外にそうそうないはずだと私は思ってしまう。そもそも仕事場で素を出す必要なんてあるのだろうか。

自分と他人の区別

朝から夕方くらいまでなんとか我慢を重ねて働いていてもよくわからない時にとくに何もないきっかけで爆発して周りの人を困らせてしまうことがある。ああいうときに自分の頭の中身がどうなっているのかわからなくて、「ああ、せっかくここまで良い子でうまくできていたのに」という意識もろともそれが崩れ去っていくもので、後の方は半ばやけくそ気味になっている。とくに気持ちのいいものでもなく。そう考えると自分の意思なんてものもともとなくって、自分もある場所のスピーカーでしかないのかもなあと思ったりする。頭の中に見えているのはなんらかのイメージで、それがどこにつながっていくのかなんてことを私は知らない。生かされていることを時々はつまらないと思う。私が私でしかいられないままに残していったものなんてただの一つもなかったような気にさせられる。もしもあるんだとしたら人との繋がりだろうか。
今日、アメトークの昔のDVDを借りて見てたんだけどそこにあったガラケー芸人ってやつ、見た記憶があるんだけどまた借りてしまった。なんていうか自分はずぶなおじさんが好きなようでサンドウィッチマンのやりとりを見たかったみたいだ。サバンナの高橋はトークも上手いんだろうけどなかなか好きになれない。目つきが私を不安にさせるのである。この人怒ると怖いなあって思う。怒っても怖くないっていうのはああ、怒ってるなあ、けど本当に壊れそうだから怒ってるんじゃないなあっていう感覚がある。まあ一個人の印象なので誰も気にしないでください。

それ見ていて思ったんだけどしかし「ガラケーガラパゴス」って言い方はすごいなと思った。ガラケーに対して失礼極まるし、その言い方が皮肉から来たにしても元は最新の文化だったはずなのにね。携帯電話の進化はすごい。わたしの中学生の頃はポケベルだったのに、、、。
スマホにしても今やあって当然でネットニュースやなんかのSNSサイトをちょっとしたすきま時間に見たりするのももうあたりまえになっている。昔はマンガ、新聞、テレビ、本がおもな情報源だったんだよな。そう考えるとスマホはあまりにも自分たちに近い存在なのかもしれないなあと思う。なんていうか道具的に。親指とつながっているその世界・・・それは鍵を開けなくてもいいしドアを開けなくてもいいぶん、新聞より本より何よりもどうしても近いように思えてしまって、そのわりに人のずっと奥の方に簡単にリンクしてしまえるのだ。他人の思考がそこまで近い距離で常に自分の傍らにあるということに人間は支障をきたすんだろうなと思うことが最近はあって、なぜかと言うと無記名のそれを見ているうちに、その気分、感情、意見が誰のものなのかわからなくなってくるからだった。何故なんだろう。人っていうのは他人の感情の発散をいつまでも黙って聞かされ続けられる器なのではなくって、いつかそれに対して線引きが必要になってくるみたいだ。そうでないと引っ張られ反発がおき中身ががごしゃごしゃしてくる。自分はそうなんだけどなかなか感情の発散てのが上手くないみたいである。それの意味ってなんなの?ただ一人だけ気持ちよくなりたいってなんなの?その天秤が。けどそれに当たってある最中なんかもー本当胸のむかつきやらイライラやらが酷くなって来たのを、言葉に表して「ここからここまでが自分、その先はあなた」と分けることでやっとの事で正常を保てるようになるなあと思った。
もしかするとそういうのも人間の器っていうものがあったりして、やっぱ自分はすぐ悪くなりすぎるように思う。「いいよ」って言えないもんなあ。すぐには。理由が必要だし少なくとも他人に説明できるようなものがないとなんとなく飲み込みづらく気持ち悪い。
という感じでスマホを傍らに抱えるようになった人類はやたらと騒がしくなるのかなあなんて思ったりした。次から次へと入ってくるものをかき分けてかなきゃならない。情報という形ならばいい。当たりやすいのは人の感情である。

 

こんなこと考えているんだよ、そんなことを言葉にし、伝えたり、書き綴るのは決して悪いことじゃないと思う。そうしなければ正常ではいられないからである。

服を着た猿

ファッションについて

 

ファッションに対して「面倒くさい」という考えをずっと持っていたから、それを意識するようになったのは必要に迫られてからだったと思う。ファッションが面倒だなあって思うのはそれが一つだけでは決まらないってとこにある。靴だけ買っても上がダサければなにも変わらない。上を買っても下が古いまんまだとだめ。ファッションが決まってても髪の毛がダサければだめ。雑誌に載っているひともしくは街を歩いてるようなまともに見える人になるまでの「トータルコーディネート」という道のりがあまりに遠すぎて、それを考えただけでおしゃれ初心者というのは「超〜〜めんどくせえ〜〜」ってなってしまうのである。ある意味短絡的だともいえる。けど全部揃えてくださいって店員に頼めるほどの度胸もない。あーだこーだ考えたあげく「ま、いっか」ってなって結局せっかくある10000円でゲームソフトを買ってしまったりするのである。

恥ずかしながら自分にその必要性がうまれたのは大学に入った頃だった気がする。大学に入ると制服というものを着なくなるので、毎日自分で買ったものを着なくてはならない。あの頃のことを思い出すといまでも胸のあたりが苦しくなってくる。どう考えてもサイズの合わないジャケットを着ているのに、店の人から「ジャケットでシックに決められてるようですし(この香水いかがですか?)」と言われてそれがお世辞なのか、本意なのかすら分からなかった自分は滅茶苦茶に世間から舐められる存在だったんだと思う。私立の高校受験の時にものすごい分厚いパーカーを着ていった。箪笥に埋まってたやつである。わたしが席に座って参考書を見ていたとき話しかけてきた幼馴染の子を久しぶりに見るとハイヒールとタイトスカートに化粧ばっちりという出で立ちだったから私は私自身に対してけっこう恥ずかしくなってしまった。海と間違えて銭湯にきてしまったかのような・・その事をあの時着ぶくれて汗ばんでいた記憶と共に思い出すのである。

 

二度目のファッション改革は彼氏が出来たときだった。あの時、「新しく買った服を彼氏の前で着るということ」すらも何故か物凄く恥ずかしくて、だから新しいジャケットを着られなくてずっとぬいだままで脇に抱えて歩いていたから別れ際に「どうしてそれ、着ないの?」と意地悪でもなんでもなく素で聞かれて「あ、、あ、う、」みたいな感じになってしまった。いま考えても本当に意味がわからない。それでも会うたびに私たちはやりまくっていた。

 

その後社会人になってからはだんだんとわたしにもおしゃれの網の目が見えるようになって来た。1たす1は2、2ひく1は1、そういう単純なルールみたいなものである。社会人になってからわたしは目覚めたのである。目覚めたわたしは5〜7センチくらいのヒールがついたブーツを履いて毎朝通勤していた。スカートも着こなすようになった。コートには丈があって自分にどういうのが似合うのかという視点をやっと持つようになった。鞄をたくさん買った。ひとつ軌道に乗り始めると爪の先にまで神経が行き渡るようになってきたので、空いた時間にマニキュアを塗ったりもしていた。わたしは「男の目」というのを意識するようになり、だから髪の毛のヘアゴムで可愛く見えるように髪を結ったりとかもした。褒めてもらえると嬉しかった。

 

カジュアルに対する憧れのようなもの

 

その後またどうでも良くなった時期とか色々とあるんだけど、それ以外にわたしの中で自分のファッションうんぬんっていうよりも単に可愛いものを見たい、という欲求があって、その目線で他人や人形の服を見たりする時期があった。いまでも不思議なのはその目線と自分のファッションへの目線がどうにも交わらないっていうところで、だから自分自身はボロボロのスエットを着ながらそういうものを眺め続けたりしてしまうことが結構ある。その頃何故かわからないけど購読していたのが「ELLE GIRL」という外国のティーン向けみたいなファッション雑誌で、本当によくわからないんだけど近所の書店には売ってないためわざわざコンビニ受け取りで買ったりまでしていた。なぜ?一応いっておくがそれを自分に生かすとかじゃない。別に目の保養とか言うつもりもない。おしゃれに気を使いたいとかでもない。雑貨好きという精神の延長にそれがあるような気がする。そしてそういうことしていると困ったことに自分のことは何が似合うのかよく分からないのに他人のことだと「もっとこうすればいいのに」とかが「スッ」とうかんできてしまうのである。

そこに載ってるファッションはカジュアルなテイストでそれをお人形みたいな外国の子がそれぞれの個性で着こなしているのが可愛いと思っていた。あと海外セレブのゴシップもけっこう載っていたけどあまりに関係無さすぎておとぎ話のようで面白かった。

その時から十年くらいは経った。今はもうその雑誌を読むこともないし、漠然と着たいものを選んで生活していたのだけど、この間スポーツ店に行った時ジャージみたいなウインドブレーカーが三割引で売っていたのを見つけた。そこにはスポーツ衣料やユニフォームだけでなく普段着れそうな白いプリントなしTシャツも見つけた。普通の服屋だと店でみるときはかわいいのに自分が着ると形が結局ダサくみえるのだったりするんだけど、なんていうか形が考慮されているように見えた。ここにはこんなに自分の好きなものが、掘り出し物同然の値段で埋まっているのか・・・そう思うとワックワクしてしまっている自分がそこにいた。ウインドブレーカー他人が着てるのを見るといつも「いいな」って思っていたけど、どう着こなすのかよく分からなかったのでン十年くらい買っていなかった。しかしどうということはない。単に羽織ればいいのである。

 

で、そのスポーツ店でけっこう充実感をえてる時に私はやっと昔購読していた「エルガール」の存在を思い出したのだった。あっそうか・・・!やっぱり自分は見るのもだけど、着るのもカジュアルが好きなんだ・・!って気がついたのだった。自分はカジュアルが好きだし、それを着ることに別にためらう必要なんてないのだ。安い、プリントがない、目立たない、そういうのが好きなのだ。コンサバとか、大人おしゃれとか、当時流行ってたエビちゃんみたいなモテファッションもあるけど、そんなんでなく、それは突き詰めるとパーカー、ジャージ、ジーンズ、青味がかった服、あるいは黄色、絶対に白黒、そういうテイストである。
(自分の中のカジュアル感2017年)

普段ボーダーばかり買ってしまうけれどそれがおちつくから着てるのだ。それはカジュアルだからなんだ。スニーカーも(以下同文)そう考えると今まで自分のそういうせこいあるいはみみっちく思えていた癖みたいのも「カジュアル」でもって内包できた感じがして気持ちが軽くなってきたのだった。あとはカジュアルだとスタイルが良くなくてもまあ大抵似合うっていうのもあるかもしれない。とにかく私は自分のファッションの落とし所を遠回りしてやっとそういうふうに見つけたのだった。

死ね