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つぶやき、料理、日記など

短歌で遊ぶ

相変わらず穂村弘さんの「短歌の友人」を読んでいて、面白い。けど未だに良い歌、良くない歌というのがあまりわからなかったりして、あとは話が高度過ぎて(といってもだいぶ読みやすい文章なのだろうが)頭が付いて行かなくなる。ってか、文章読まな過ぎなのかも。

 

短歌の友人 (河出文庫)

短歌の友人 (河出文庫)

 

 



「秀歌」と言われても文語だったりすると何が何やらよくわからない。蝉の殻に昨夜の雨が溜まる、っていう歌、それから子どもが泣いて夕暮れが広がってる、みたいな歌は良いと思った。短歌一首を見ただけでパッと情景が浮かぶ感じがある。俵万智の歌はあまりに単純過ぎると感じてしまった。サラダ記念日なんかもそうだけど、素人目から見るとわかりやすくて良いのかもしれないけど。わたしはアマです。先の短歌だけど、セミの抜け殻の中にある水はコンクリの中の水のように人工物と自然物の組み合わせの違和感のような感じで印象的だと思う。

 

まだ読んでる途中だけど、中に書いてあったことなんだけど生きている中で見逃している情景、に付いて、「生き延びる」という生命の第一優先すべき目的のせいで、日常を過ごす僕たちは生きているという感覚や実際感を見逃している、というようなことが書いてあって、この間自分の考えていたことと同じだと思った。人間ていつも原因と結果を結びつけて考えるものだけど、それは単に人間の落とし所でしかなく、それ以上の余白というのは命という成り立ちである限りはどうしても生まれてくるもので、その余白をどう把握して生きていくのか、っていうのが文化だったり、迷信やお話だったりするのかもしれない。たとえば人は死ぬっていうこと一つにしても、私たちはなかなかそれを画一化することはできなく、人が一人いればそれぞれの死の形がある。なんか微妙に話が横道にずれてしまった。とにかく生きていると用事や明日や今日に囚われているので命の在りようを感じることなんて忘れている。「あ」って立ち止まる瞬間、自分の思考にとらわれるのでなく、取り巻く「世界」とそこに置かれている「自分」という命の存在、違和感、それを感じること、感じることになる発端、そういうのを短歌だったり小説が表してくれるのかなあと思う。それがベンチの上に置かれた梅干しのタネだったり、恋人の鼻毛だったりするのかもしれないと思う。やっぱり「え、どこがいいの」っていう歌はある。まあそれは個々人の感性なのかもしれない。穂村さんのいう表現で「棒立ち」というのがあった。短歌を作る上でなにもひねらず、ただ単に普通の文章として流すような短歌をそう表現していたんだけどなるほどなあと思った。これを、技巧ある人がすると一周回って良しとなるのかもしれないが、素人では経験も技巧もないのでなかなか難しいと思う。棒立ちでも技巧であっても、世界観を持っているというのは強い。わたしもスピッツの世界観に触れたくて、トリイの世界観に触れたくてCDに本に手を伸ばす。

そうだ、「言葉を軽く握る」なんて表現の意味わかりますか?わたしはこれを聞いて「な、なんだそりゃ!」と興奮してしまいました。言葉を軽く握る、っていうのは創作意欲である「イメージ」を保ったまま、それを排出する手段としての「言葉」のほうを置き換え、イメージを崩さないで短歌の枠組みの中でそれをおどらせるような感じのことなんだらしい。なんとなくわたしは「ピボットターン」のように感じました。
短歌を作ったことのある人ならわかると思うけど文字数制限があったり音のバランスとか考えるうち「ここ、なんの言葉はいるのよ」ってなるけど、あれこれ変えてったら初めとは全くべつの歌になってることがある。わたしの場合は台所で餅ついてる程度なんだけどさ、しかしそういう葛藤っていうか皆の身に起こることをしかも解決する手段とともにぴったりの言葉で表現されると本当に興奮する。神か?!?!穂村さんは以前別の対談本でも「予感」のことを、「行動する前から匂いのようなものが先に立ってくる感覚」(ていうようなかんじ)と表現していてげげえー!と思ったことがある。遂行した文章ならまだしも、対談中にぽんぽんとこんな表現がでてくるんだからおそろしい。頭のいい人ってのは私たちの別次元にいるんだなあと思う。

何故もっと若い子達は穂村、穂村って騒がないんだろう。

 

まあとにかくそんな感じで、いつか穂村さん選のところに自分の作った短歌送ったりして何か言われたいなあって思う。いつか、いつか。

 

 

秘密と友情(新潮文庫)

秘密と友情(新潮文庫)

 

 

 

短歌の目8月振り返り

短歌が楽しくて、短歌のことばかり最近は考えています。穂村弘さんの本も二冊Amazonで注文してしまった。

 

短歌の友人 (河出文庫)

短歌の友人 (河出文庫)

 

 

 「ぼくの短歌ノート」と「シンジケート」は持っている。シンジケートは何処か行ってしまって手元にありません。

穂村さんは、エッセイはへらへらしているのに短歌や物事を論評するときなどの切れ味がすごくてため息がでるほど。こういう「ふわっと」した物事にもちゃんとした論がある。で、それを言い尽くせてる感がすばらしい。(というか、それ以外の短歌人を知らない…)

ハマってみて、いろいろと本を探してみたんだけど「初心者入門」「初めての短歌」みたいのがけっこうあった。多分こういうのを趣味にする人は多いんだろうなと思う。

 

短歌の面白みは返歌だったり、テーマを決めてそれぞれにやるっていうところなのかもしれない。けどそういう本気のやつをやったことはない。いつかやってみたい。短歌友達が欲しい。短歌の良いところは、ねちねちした批判になりにくいところもある。すごいなあ、っていうのに「でも俺のもすごいよ」で返すしかない。だからそういうのが続いてくのがいい。他人の言語感覚を見てるのが楽しい。何もすることがない時に、短歌のアプリでぼーっと見てるのが楽しい。もちろん作るのも楽しい。ふざけて作るのも楽しい。頭の中に情景を、うまいこと言葉に変えて書こうとする。その変換がパズルやっているみたいで楽しい。計算や数を数えるのは不得意なんだけど、こういうのはいつまでもやってられる。で、それがうまく当てはまったとき、うまく並べ替えられたとき、なんていうかスッキリします。あたしの短歌、整いました!!!

 (しーん…

 

 

8月題詠 5首振り返りです。

1. 流

流れつつとび潜り死ぬとびうおは元旦の日にとびうおになる

 

→今日、感情について考えているときに、とびうおが唐突に思い浮かんだ。跳ねたり潜ったり、勝手にする。それを短歌にいれてみた。

ところで「流れる」みたいな動詞を短歌に入れるってなかなか難しいと思う。(流木、とかでもよかったのかな)元旦の日にっていうのに意味はなくて飛び魚と知覚する人間がいることで飛び魚は飛び魚として存在してるんだなという考えを書いてみた。


2. 囃

遠くから聞こえることで有名な祭囃子のその中にいる

 

→囃子っていうととおくから聞こえてくるとか、だんだんと知覚されてるって表現する人が多いのかな?と思いつつ、詠んだ。火や水の中にいるときは「火だーっ!」「水だーっ!」くらいしか知覚されないんじゃないだろうか。


3. フラット

「感情をフラットにせよ」と繰り返す機器にこの度辞令を申す

 

→フラットって聞くとその前の上がり下がりをイメージしてしまう。それ以外何も思い浮かばない。感情のフラットって何?どんなの?そういうことを言うのはきっと機械くらいだろう。きっと人の気も知らないで、ねえ。


4. 西瓜

とくべつな西瓜をあの日買い求め類似品のみ売り場に並ぶ

 

→西瓜っていうと夏。でも今ははっきりいっていつでも買えるし、別に高くもない。子どもの頃はいつも与えられていたものだ。

でも自分が買うようになって、それは特別な西瓜になった。仕事を初めて、車を運転して、西瓜一つを余らせないよう思考を巡らせてから買ったスイカは特別な西瓜だ。


5. こめかみ

こめかみに特殊なツボがあると言う林修が生きながらえる

 

→こめかみっていうと横顔なのかなと思った。横顔を見つめるというと恋人か、片思いか何かかな?でも何も思い浮かばなくて、今日何度も聞いた「林修」について遊んでやろうと思った。

 

テーマ詠「怪談短歌」

 「よく考えるとぞっとする情景」とのことだったので、パッと思い浮かんだのは→

乗用車後部座席のぬいぐるみ名前を羅列しているおばさん

 何故か、車の後ろ(ダッシュボードっていうんだっけ?)にぬいぐるみをぎゅうぎゅうにしているのが浮かんだ。あれって一体何のためなんだろう、みたいな出来事って世の中にけっこうあって、しかも局所発生的に存在する。後ろ、見えないし、ぬいぐるみを抱いてていいのは子どもだけだし、だからけっこうな年になっても自分がどう見えるかを考えないで行動している年の取り方にぞっとする。そういうのは普段まともに見えるような人であっても、チラチラとこぼれ落ちるかのように露呈する。

私はいつかテレビで見た猿のオムツを替えている浅香光代にぞおっとしたことがある。その辺の意味も入っている。

 

「誰も見ていない」とゆるむ筋肉が一瞬にしてかたまるその時

その時私は足の皮を剥くのに夢中になっていた。だから作った短歌である。 

 

「八たす八」と聞かれ答ふる幼な子の「いちたすいちたすいちたすいち…」

 この間あった、「かわゆい!」と思った話。おいおい、それじゃあ終わるまで一体どれだけかかってしまうんだい、と思った。自分が子供の頃にも「100たす20=10020円」みたく書いてしまったことがあって、兄妹に「え、そんなにくれるの?!ありがとー!」って返されたことを覚えている。なんにもなんにも知らないで生きている。

 

はてな題詠「短歌の目」8月に参加しました。

短歌の目8月のお題です - はてな題詠「短歌の目」

 

短歌の目8月にギリギリで参加させていただきます。気付いたら全て「主語+動詞」になっていました。普通ですね本当。普通でしかない。

 

よろしくお願いします。

 

1. 流
流れつつとび潜り死ぬとびうおは元旦の日にとびうおになる

 

2.囃

 遠くから聞こえることで有名な祭囃子のその中にいる

 

3.フラット

「感情をフラットにせよ」と繰り返す機器にこの度辞令を申す

 

 4. 西瓜
とくべつな西瓜をあの日買い求め類似品のみ売り場に並ぶ

 

 5. こめかみ
こめかみに特殊なツボがあると言う林修が生きながらえる

 

 テーマ詠・「怪談短歌」

 乗用車後部座席のぬいぐるみ名前を羅列しているおばさん

 

「誰も見ていない」とゆるむ筋肉が一瞬にしてかたまるその時

 

「八たす八」と聞かれ答ふる幼な子の「いちたすいちたすいちたすいち…」

 

 

粉のように飛び出すせつないときめきです

スピッツ

最近、というかいつもよく聞くのがスピッツの歌で、最近は岡崎体育、それからキリンジとかも聞いてます。
スピッツの歌は、わたしが説明すると陳腐なのかもしれないが浄化に近いものがあるような気がする。youtubeのコメントで「スピッツの歌詞は感性に対して折り目正しい」というのがあってなんて的確に言い表しているのだと思った。そうなのだ。ロックだと世間に対する反発を表すのだろうし、フォーク?っていうかバラード?とかだと感傷に走る。妙な反省も、卑下も自戒も聞いていて悲しくなる。スピッツはそのてん、どちらにも触れ過ぎていない。わたしもたまにポエムを書いたりするけど、こういうのは大事で、すごく没入して創作していたとしても、翌日読んでみると「な、なんじゃこりゃああー!」となっているのはだいたい感情が入り過ぎてしまっているものだったりするのだ。だからその物事に対する適切な距離をはかり、なおかつその、個人の感性に対して折り目正しく表現する、っていうのはなんとゆうか視点であるしあるいは訓練かもしれない。
それは目を塞がれながら、見たことのない土地の地図を書かされているような感覚でもあったりして。

スピッツの歌を聞いていて気持ちがいいのは、なんていうのか、エゴが入り過ぎてないからだと思う。いや、世界に優しいというか、受け流してるからだというか、うーん。
いや、表現しつくせなかった。けどわたしはスピッツを聞いていると「ああよかった」といつも思えてしまう。届くところまで届く耳かきのように思ってるのかもしれない。(おいおい

 

短歌

短歌の目さんでやっている八月の短歌を書いてみようと思うけど、お題が難しすぎる。「フラット」ってなんだ。「囃」ってなんだ。あまりに自分の語彙からは遠過ぎて、フラッと行こうね駅前のつぼ八とか囃子がぴ〜ひょろろくらいのイメージしかわかない。

 

最近また、読書熱が上がってきた。今は忙しくて、はっきり言って一日一時間腰を据えて本を読むほどの時間さえない。こういうブログは、鍋沸かしてる間だとか洗濯物干すのを押しつつの五分とかでちゃっちゃと出来るけど、本とかゲームとかは気付くと一時間二時間ゆうに過ぎ去ってるので、本当に若い頃にすべきことの一つだと思う。あっゲームは違うか。図書館で本を借りたりしたけど、気付いたらもう返却日だったのでろくに読めなかった。でも面白かった。一ページずつ読んで行けば何かが入ってくるんだ、っていうたしかな作業をしている。外国の本を読んでるときは訳ってほんと大事ね〜と思う。その変換作業の中でいったい何が起きているんだろう。インプット→アウトプットの過程では、たくさんの人の視点や人生が組み込まれていた方が当然いいに違いない。だから………むにゃむにゃ。
眠い。

ミシン初心者がミシンを買う

事情があってミシンを買った。あるイベントに使うための衣装を作らなくてはならないからである。ミシンでなくて裁縫だったら過去に何度かやったことはある。そのたびに「この作業、ミシンを使ってやったらどれだけの時間短縮になるのかな」と考えてはいて、しかし手作業だと30センチの布地を縫うだけで軽く1時間掛かったりとかする。かつてはそれを笑いにしながらも、でもどうしてもミシンを買おうという考えにまでは至らなかった。持たざるものとしてはその、ミシンを持つまでの扉というのが非常に硬かったもので、ミシンを選び、買い、それを身に付けるというステップが自分からしたらある日突然バスの運転手になるくらい取り留めもない状態に思えていて、だからそんな無理をするくらいなら今ここにある「針に糸通して」縫えばいいじゃんと結論づけて生きてきたのだ。

とにかく三十年余生きてきて初めて自分のミシンを買うことになった。私は「ぜったいにぜったいにそうしないとダメ!にっちもさっちもいかない!もうこれいじょう一歩も動けない!」という必要性が生まれたときに初めて動くような人間なんだなあと思う。いわば化石である。たぶんあの時からミシンを持っていたら1日くらいは軽く時間が戻ってくると思う。

まず電器屋に行った。ブラザーとジャノメというブランドが目に付いてそれが有名みたいである。値段は一万ちょいから三万、四万くらいのまである。けれど店員さんに聞くとそれなりの機能が付いていれば十分で、高い製品を買う必要はないとのこと。そうだよね。というわけで二番目くらいに安いジャノメのミシンを買った。たぶん一番安いぼろっちいやつは誰も買わないが他の商品をよく見せるために置いてあるのだろうと思った。そのミシンとブラザーのやつで迷ったんだけれど、ジャノメの方は説明のDVDが付いているということだったのでそちらの方にした。おばさんはミシンのことをよく知っているみたいでわたしが「ほぼ初めて使う」ということを伝えるといろいろと説明してくれた。おばさんがミシンの針の下にあるフタを外したり「上糸、下糸うんぬん」というのでなんとなくこういうのあったかもしれない、ということを思い出したりしていた。※ここで、「下糸を自分で用意する」ということを知る。何かその知識でミシンの構造を理解したような気持ちに何故かなった。

 

 

JANOME コンピューターミシン 「説明DVD付き」 JN-51

JANOME コンピューターミシン 「説明DVD付き」 JN-51

 

 

不思議なことにミシンを買って帰ってからも二、三日は開封する気が起きなかった。こんなにも近くにいるのに、わたしとミシンとの距離はまだまだ遠く離れていたのだ。ミシンが全然分からないわたしは夏休みの宿題に手が付けられない小学生のようにミシンを読み解かなければならないことが億劫で仕方なかったのである。
でも期限は迫ってくる。単なる趣味とかでなく今回の場合わたしが衣装を作らなければ困る人たちが明らかにいるので、とにかくわたしは期限の5日前に動きはじめた。

1日目、DVDではなく紙の説明書のほうを読んでみた。細部の名前、注意書き、使い方、書いてあるけれど、あかん、あかん、意味わからん。全然入ってこない。五分で説明書を閉じてその日は眠ることにした。(ちなみに説明書を読み始めるまでに突然はじめた部屋の掃除の方は結構はかどった)次の日、ミシンのことを覚えていたにも関わらずさんざん先延ばしにし、結局やっと寝る30分前くらいに説明のDVDを見てみることにした。
で、DVDはやっぱりわかりやすかった。こういう、初めてのこと、機械の使い方に対して「百聞は一見にしかず」は正しいんだと思った。思うに説明書の方だと情報全てが箇条書きで書かれている状態なので、「これがミシンの構造だ」「これが心臓だ」「これがしてはいけないミスだ」のようなアンダーラインが全くないため情報処理がいきづまり頭がパンクしそうになるのだと思う。そんなわけでDVDのおかげで一度も引っかからずに下糸を作ってセットし、それから上糸もセットして試し縫いもすることができた。よかったー。
ちなみに今回知ったミシンのこと
・上糸と下糸がある
・下糸は、自分で作る
・糸の流し方が複雑だけど、説明通りに引っかければ間違えることはない
・返し縫いというものがある

もうここまでくると心も晴れ晴れ、衣装にはまったく手をつけていないんだけど50%くらいはクリアしたようなもんだと思う。今度からはこういうふうに、憂鬱なことに対して一度でカタをつけてやろうとは思わず段階を経てちょっとずつ手をつけていけばいいのかもしれないと思った。宿題にしても、毎日やっていけば必ずいつかは終わるものなんだから。
それではみなさん、おやすみなさい。

バナナケーキを作った

昨日は久しぶりのお休みだったのでスイーツでも作ろうと思い立ちました。作ろうと思ったのは、家にある牛乳とゼラチンを使ったミルクゼリー。そこに買っておいたみかんの缶詰を入れようと思ってたんだけど、ふと下を見てみると台所の床に、熟れきって黒ずんだモンキーバナナが置いてあるではないか。普段なんの考えもなしに生きているモードのときはそのまま丸ごとゴミ箱にぶちこみ「全て無かったこと」にするくらいいい加減な私だけれど、今日はちゃんと使ってみることにした。

モンキーバナナとホットケーキミックスを使ってバナナケーキを作ることにしました。一応夕食も並行して作ります。

まずは、バナナを全てむいてボウルに入れる。

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あと、ホットケーキミックス、牛乳、卵を混ぜる。

 

ホットケーキミックス250g

牛乳100g

卵2個

バター大さじ1.5

サラダ油大さじ2

 

くらいな感じで入れてみた。勘です。これは。モンキーバナナ剥いてみて思ったのは普通のバナナよりも黄色いということ。あとはタネが目立つな〜ってこと。

 

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クッキングペーパーを敷いたフライパンで焼きました。弱火で15分。

 

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膨らんできたよ。

 

 

しかし!ポップコーンの焼けるような匂いがしてきたので不安を感じ、フタを開けて見てみると案の定、というか思っていた以上に

f:id:tmtkkiy:20170705205816j:image丸焦げ!!

 

 

失敗しました!

でも、パン切り包丁で焦げ部分をカットして事無きを得ました。焦げてたのは表面だけだった。ポップコーンの匂いの正体は「焦げ」だったんだあ…みたいな

 

しっとりしたケーキになってほしかったので、ちょいあったかいくらいなうちからサランラップで包み込みました。

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この辺に来るとお菓子に対する「愛」が生まれて来る。あったかくて柔らかくて、毛布みたいでかわいいやんな〜おまえはな〜

 

 

で、完成で〜す

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食べて見た感想→ちょっと甘さが足りないかんじだった。ハチミツとか入れてみてもよかったかも。市販のホットケーキミックスにもじゅうぶん砂糖は入っていると思うんだけど、スイーツとして食べてみるとなんだか物足りなく思えるのである。いや、もしかするとモンキーバナナというもの自体普通のバナナより甘くないのかも。以前作ったバナナケーキはもうちょい甘かった気がする。朝ごはんとかにはいいかもしれません。

 

冷やして食べると美味しそうと思ったので冷蔵庫に入れておきました。次の日食べたらしっとり冷たくておいしかった!

持たザル

今日はイオンに行って買い物をして来た。車が壊れていてずーっとイオンなしの生活をしていて、それでもとくにもんだいはないと思っていたんだけど久しぶりにイオンへ行くと水を得た魚みたいに体がぱ〜ってなっていく感じがあった。なにもかもがそこで揃うし済ませられるっていうのがこんなにも便利なのかって思う。街よりもずっと便利じゃないの?と街を知らないネズミのように思う・・最初に入った店がsweatってていう雑貨プラス服みたいな店があったんだけどあるものが全部可愛くて「うわあ〜」って感じになってしまってそこから出られなくなった。ネックレスとかもそうだけど服って、街をあちこち練り歩いてもいいものが一つもない時はないのに、ある時は把握できなくなるくらいにあったりして今日もそんな感じだった。わたしのうろつきを見ていた店員さんが「服、お預かりしますか?」って声を掛けて来てけれたのでけっこう嬉しかった。雑貨を見ている間蔑まれている感覚が少なからずある35歳なのである。そのあと(服2着預かってもらった後)も雑貨やら服やら買った。Tシャツはサイズがでかすぎるのしかなかったけど、普通のトップス(っていうの?)はかわいいのばっかりでしかも値下げしていたから三着買った。

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どうやって着ればいいか分からないけどロング丈のTシャツを買った。

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ちょっと力をいれただけで引きちぎれそうなくらい繊細なデザインのネックレス。

かわいいでしょ?(ほほほ

 

結論からいえばイオンでの買い物は結局そこでの八割くらいだったのだけどその後も無印良品→カルディ→ヴィレッジヴァンガードに入ったあとその森から抜け出せなくなってしまった。

 

無印良品はでも筆ペンがほしいなあって思ったくらい。12色筆ペンとか…何なの?ほしい。「けど、何に使うの?」っていう問いに「年賀状」くらいしか出てこない感じがしたから買わなかった。この間無印で見たくてくての帽子(5000ウン円)は三十パーオフ以下にならなければさすがに買いたくない。結局は話題になっていたしゃもじとピーチのタブレットを買った。家に帰ってから食べたら美味しかった。無印良品はレトルト食品もいいんだけどその後入ったカルディとかと比べるとやっぱりちょっと高い。飲料とかもわけわからないのが揃っていてそそられるが買わなかった。そーだ、無印の子供服が意外と可愛かったから、ギフトとかにもいいのかもしれない。キュロットとかも手作り風なレトロな感じでかわいらしい。可愛らしくツボをついているものを見たとき「きゅんっ!」みたいなリアクションを取りたくなってしまう。絶対やらないけど、でも毎回「きゅんっ!」ってなってしまう。

そのご、カルディで紅茶とかチーズ買いたかったんだけど「どうせ一週間後には全てなくなる」となぜか急に思い始めたので何も買わないで出てきた。カルディで買ったものってのは結局生活には必要のない嗜好品100パーで塗りつぶされたものでしかないのだと思う。むかしTwitterでみつばっていう人が「カルディでうろつく女のケツに浣腸」みたいな下品なことを呟いていたんだけどなんとなくそのもやもやを理解できるような感覚が自分にもあり、その感情をなんと言うのか教えてほしいと思う。ヴィレッジに関してはいっつも寄ってはいるけど欲しいって思うものがほぼない店だと思ってたんだけど品揃えがちょっと変わったのか店舗によるものなのかわかんないけど欲しいものがいっぱいあってたのしかった。しば犬グッズとか置きます?普通。しば犬のクッションが圧縮された状態で置いてあったのでフリーズドライの野菜を初めて見たときのような気分になった。そこでイヤリングを買った。三百五十円のイヤリングをするのってどうなんだろうって思いながら買った。

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「kids」?

けど最近ネットニュースとか見ていても「プチプラ」みたいな流れがあったりするから今はそんな感じなのかしら。自分の来ていた服も今日は上千円下千五百円カバンは中古、みたいな感じだったんだけど貧乏性な自分からするとプチプラの流れは良いなあと思う。プチプラのものってなんていうか変なかわいさがあると思う。雑貨の延長とか、あとは「わたしが探してわたしが見つけてきた」みたいな愛に近いものがあるかもしれない。ヴィレッジで見かけたちょっとゴツメな携帯ケースが欲しくて、でもサンプルになっているやつの色が無かったので若い店員さんに「このサンプル品売ってもらえませんか」って聞いたら普通に断られて「でも絶対本当にダメな理由ないですよね」と思ったけどそれに従うしかなかった。あとでネットで調べたけどどうしても出てこない。こういうのってびびっと来るものが定期的に現れてそれを逃すともうまたしばらく出てこないんだよな。携帯ケースっていうものはそもそも高すぎる。三千円って、服買えるじゃん。でも少なくとも半年は使うと考えると別にいいのかな。
そんな感じだった。そのあと何故か行った公園で学生たちが野球をしていた。自分から見たら中学生も高校生も区別が付かないのだと思う。高校生だと思って見ていたら中学生だった。わたしはその前を通り過ぎて公園のトイレでウンコをした。その後ベンチで座ろうかってことになって広場へ行ったらあぶれた学生かわからないけどカップルの中高生(不明)がいて、なんかよくわからないけどムカつくなあと思っていた。ああいう頃って別に特に話題がなくってもものがなくっても、単に二人で居られるだけで幸せなんだよね、って思った。二人は別に普通にクラスで一緒になっただけなのに勝手に通じ合うものがあって、何もしなくても勝手に恋みたいなものが芽生えてきたんだろうなあと考えていたらけっこう腹がたつなと思った。どうして単に幸せそうなだけのカップルに腹が立つのか考えたりしてみた。それは、自分が何も持って居ないからなのだと思った。