今日は、短歌でしか喋らない

つぶやき、料理、日記など

「ネプリ」やってみました。

いまSNSで時々話題になっている「ネプリ」つまりインターネットプリントをやってみた。「ネプリ」とは自宅にあるパソコンなどからネットを介して保存したデータを、セブンなどに置いてあるプリンターから紙という媒体に出力出来るというサービスらしい。

これを、はじめ「ネプリ=短歌の作品読むため」として知ったので、だからアマチュアでも情報っていうか作品を売り、それを興味ある人が買ったりできるサービスなのかな?と思っていたんだけれど、「どのコンビニからでも引き出せる」というサービスを利用してうまくいろんな人が情報を引き出せるように活用する人もいるっていうことらしかった。

セブンへ行き、そのデータの暗証番号を入力すると、「あなたのものですね?」のごとくその写真や文章のデータが出てくるというわけです。ちょっと違うかもしれないけど。

だから、わたしの場合は短歌の読み合わせ一枚のプリントを20円で手に入れることができました。買うもんだと思っていたけど、コピー料金だけなんですね。安くてびっくりした。

 

31文字の短歌数首であればメールとかSNSに画像貼り付ければ直ぐに済んでしまうものだ。でもこうやってネプリを通じて手元に形あるものとして現れるっていうのは作り手のこころがそのまんま送られてきたようで嬉しいと思った。やっぱ紙はいい。わたしは二年前に買ったKindleを冬眠させてしまっている。

 

で、ネプリを完了して家に帰ってから読むまで、「すごい作品ばかりだったらどうしよう」と思って一人でしか短歌まだ作ったことないわたしは怖かったんだけど、まあ、うーんなるほどという感じだった。しかしうまい人はうまい。うまいっていうか「そっか!」と思う。そういうことか、その存在の象徴ってのは。ていう感じ。

まずはこういう場所があるんだなあというのをリアルタイムで知れて良かったと思う。

試験が無い毎日

今週のお題「受験」

 

受験に対して思い入れは特にないから書きようがないんだけど、受験勉強のことは覚えている。中二くらいから塾に通ってて、あと高3でも代ゼミに行っていた。代ゼミは雰囲気を味わっただけ(皆めっちゃカリカリいって勉強している)であとは友達が携帯をなくしたと大騒ぎしていたのが多分あれは嘘だったと思っている。嘘を、わたしだったら見抜かないだろうなあときっと思われていて、それにしても見事な演技だった。だから舐められていた。まんまと、「携帯を盗まれた」と騒ぐ友人といたわたしは機種変のための生き証人になった。まあそれはいい。あとは試験でも、なんでも席にいるときは隣にいる人がどんな人だろうと思っていた。テストを解いている間こいつ、何考えてるのかなと思っていた。別に何もないのに動きまくる変な人ってたまにいたし、わたしの友人は、問題解き終わるとシャーペンの芯をカタッターンってやって「ふうっ」ていうような子だったから苛々した。なんでアピールしていることに対して無意識なのかなあ。そんなんでも、その子は人から好かれていた。YES、快活。わたしは国語と英語が出来て、算数数学とかはぜんぜんダメなタイプだった。「なんで途中で間違えるんだろう」っていう思い出しかない。なんでかわからないけどとにかく間違えるのである。それを五回中四回とかやっているともう自分は数字苦手なんだという意識が出来上がる感じ。なんていうか、数学が出来る子はあんまり悩んだりしなさそうなイメージがあるんだけどどうなんだろう。嫌なことあってもためらわず他人と分かち合うし、取り入るってことを別に苦ともせず生きてるんちゃうかって思う。とにかく落ちるっていうのが嫌だったから普通に義務教育は頑張っていたと思う。頑張らない人とかサボれる人はある意味で勇気がある方だと思うし、多分ある意味どこででもやっていけると思う。「サボりたい意思」ってなんだ。大人に怒られる方がよっぽどこええわ。

義務化されるととにかくわたしは頑張る。これ以上落ちこぼれるのは怖いことだ。「安心」を得られるためなら努力するんだなあと思う。だから自分のしたいことっていうのはいつまでもわからないままだった。

加湿器の合間をおかず加熱するこころに夜半気つけられたり

あー、短歌詠みたい、短歌見たい。まだ自分のレベルが、他人から見たら笑っちゃうものかもしれないが、それでも短歌詠みたい。

そう思いながら、いや、短歌詠めない。と思ったりする。ネタがない。だからこういうのは毎日「捨て」であっても作って置いた方が良いのかもしれないなと思う。プールに飛び込むまでとか、眠る前に目を閉じるのとかって億劫なんだけど、一旦やってしまうと出てこれなくなったりする感じが似ている。エンジンのかけ方みたいな。

 

加湿器の合間をおかず加熱するこころに夜半気つけられたり

 

足跡を残す仕草の愛らしく人は名前を匂うものかな

 

手塚治虫リボンの騎士の巻き髪は椿のごとく重く感じた

平安時代の歌詠み得意な歌人は男性が女性の歌を詠んだりなど結構している。現代でもそういうのは見られるけれど「こんなんでもやれちゃうよ?」精神があってやるのですねと思った。あと紀貫之の批評面白い。それからこの時代では擬人化の表現もなかなかエモいと見なされていたようだ。今ではふつうの会話でも出て来るくらい一般的である。日本語が立ち上がったのち、発展していくときの本当に初期の頃、それから精神は今とそれほど変わらない日本人がそこにいたっていう面白さなんでしょうか。

話が逸れてた。それで思い当たったリボンの騎士の男女入れ替えみたいな萌えというかそれに対する興味はずっと昔からあったものなんだなと思った。「リボンの騎士」の主人公の髪型、少女漫画をふつうに消費していたわたしはもうちょっとどうにかならんかと感じていた気がする。今は手塚治虫の絵にけちをつける気はない。あれはあれでかわいい。

 

積雪は日々細くなり思い出の線濃く夢と違わなくなる

 

類語辞典が欲しい。類語辞典が無いともう短歌作れない。

そういえば百人一首事典は今日読み終わった。読み終えて、やっぱり紫式部清少納言の歌は気になった。清少納言の歌、忘れたけど中国の物語を引き合いに男をやり込める歌なんだけど百人一首の中では異色であった。こんな「あたしあんたより知性があるのよ。騙されないわよ」なんて歌、自尊心プライドびんびん女の歌を、歌集に載せる、そしてそれがちゃんと評価されてるというのが面白かった。昔の知り合いがいつも古典の話をしていたけど、こうやって興味を持ってからでは味わいが違う。と中学生のようなことを言っているんだけどそれ以外のやつも読んでみたいと思った。そうなると図書館に行きたくなる。図書館に行くためには手段がいる。車が欲しい。結局は金だ。金、金がもっと欲しい。

 

「サワダさんと麻紀」

あまり笑わない人がすきだ。例えば皆といてもわいわいする輪に加わらないで、それを眺めてるような人。それで、ぼそっと呟く言葉に思わずああ、真実だなあと思わさるようなそういう大人びた人が昔から好きになった。そういう人をその場で見つけだしては、マキは目で追っていた。不思議と仲良くなるのはそうではない賑やかな人の方が多かった。だから今付き合っている洋二もそういうタイプの男で、「よお」とスエットを着たままで現れるしマキといるときはいつもゲームをしたり誰かと電話をしたりして忙しい。でも、マキがほんとうに好きになるのはもっとずっと静かで、湖の上のほうではなくて底の方の波のような世界を持っている人で、だからそういう人を見つけるとめざとくグーグルマップにポイントを点けるみたいにするのだ。知らず知らずのうちに、その人が笑ったことや、言ったことを記憶していて、そしてその人の喜びそうなことをわざと目の前でやって見せたり、時には思わせぶりな態度をほぼ無意識でやっていた。ある時、他の女の子が自分のように振舞っていたのを見て「なんて物欲しそうな態度なんだ」と赤面してからは、もっと分かりにくくするようになった。
ある時出会った「サワダ」という男は、マキのそういう好みにぴったり合うような人だった。あまり笑わないし、何を考えているのか分からない。ああ、そうだ「沸点が低い」んだと思った。だから皆と同じ輪に加わらないで、大人が幼児の遊びを見るときのような目で観察している。話している時よりも黙っている時間の方が長い。抑揚がほとんどない。「サワダ」がたまに笑うとどきっとしたし、それが自分の事だと知った時マキは狂喜にちかいほど喜んでいたのだった。「おーい、おーい」と洋二がマキのことを呼ぶ。「ねえこのマップのキーどこだっけ?」スマホを片手にマキに話しかける。うっせーんだよ、とマキは思い、それに応えない。今サワダさんのこと考えていたのに。しばらくして「おい」と洋二がいう。ぶおおおお、と外でトラックが走りぬける。二人は洋二の部屋にいて、昼ご飯を食べ終わったばかりだった。「はい?」「紅茶くれない?」マキは、自分の飲んでいた紅茶の缶を差し出す。洋二はそれを受け取って、ぐびっと飲みほす。こいつきっと、ここにいるのがあたしじゃなくたって全然構わないんだろうなあと思う。マキは気を取り直してサワダさんのことを考えだした。手には文庫本を持っていて、それもサワダさんが貸してくれたやつだった。
マキはこの間一緒にツタヤへ言った時に話していたことを思い出す。サワダさんの好きな映画は◯◯と××で、お笑いの好きなマキはその歴史映画のタイトルさえ知らなかった。それでも話のつづきを聞きたくて、わかるようなふりをして「うん、うん」と熱心に相槌を打つ。サワダさんがこんなふうに自分に向かって話してくれるようになるまでに、実を言うと半年くらいかかった。その時までにサワダさんと仲良くなれたのは、大抵下心丸出しのバカみたいな女子、それか大らかで明るい先輩の大仁田さん、あとは他の男たちだけだった。バカの女子に対して其れ程何も感じてなかったマキだけど、でも大仁田さんとサワダさんが笑い合っているのを見た日はそれこそ眠れないくらい苦しかった。まだその時の自分はサワダさんと挨拶するくらいにしか至っていなくて、それでも絶対あそこの位置に居るべきはわたしだ、とその日自分の部屋へ戻ったマキは思った。そうして、大江さんになる為に足りないものと、大江さんにはなくて自分にあるものを数えつつやっと眠りについたのだ。
ツタヤでマキはサワダさんから教えてもらったタイトルの映画を借りて、それから本を探すふりをして漫画を買って、二人で店を出た。帰り道、信号待ちをしている時、サワダさんが隣にいるマキの手を取ったからマキは心臓が飛び出るかと思った。
サワダさんは歴史の話と今の職場の状態を絡めながら話していて、マキはそれに相槌を打ち感心しながら聞いていた。
「人間と動物の違いが分かる?」
「え?」
「人間と動物の違い」
「会話が出来るとかそういうこと?」
サワダさんはマキのとってつけたような無邪気さに笑って言う。
「そうじゃなくて、理性があるかどうかってことだよ。我慢が出来るのが人間で、我慢出来ないのが動物」
マキはそのことを思い出して、なんかちょっとエロいな、と考えていた。そんなふうにちょっとずつサワダさんの深いところにある哲学のようなものにふれるたびに、言い知れない幸福感が募っていった。そこまで思い出していたマキは、隣にいる洋二に同じ事を聞いてみようかと思いつつ、でもやめた。洋二ならきっとふざけた答え方をして、マキを笑わせようとするだろう。そしてそれにマキは笑ってしまう。それから、きっと損したような気持ちになるのだ。いつもみたいに。ビールではなく缶チューハイしか飲めない洋二に少しずつ不満を溜め込んでいくように。
「洋二」マキはいう。
「はい?」スマホでゲームしている画面から目を離さずに洋二は応える。
「洋二は幸せそうだね」
洋二は顔をあげて、マキの顔を見る。「幸せでちゅ〜!」バカみたいな声をあげて、洋二はマキにくっ付いてくる。髪の毛がちくちく頰に突き刺さってきて痛い。そういう洋二は可愛くて、でもなんだか姉のような気分にしかなれないのだった。

マキは不意に「寂しい」と思うことがあった。特に休みの日なのに何も用事がなくて、サワダさんから連絡も来なくて、一日無駄にしてしまったような日には。好きな人が出来ると行動が一変して、ファッション雑誌しか読まなくなるような女のことを心底馬鹿にしているマキだったけれど、でもいったん誰かのことを好きになると自分も同じようなことをしてしまう。髪型を気にしてみたり、自分より可愛い子を見たら焦ってみたり、マニキュアとか塗ってみたり、スカートもどんどん増えていった。それでも、自分は出来るだけさりげなくサワダさんの前に現れたいなあと思った。これ見よがしな感じで行ったらきっと、自分がこれまで頑張って作り上げた空気が消えてしまうんだろうなということはわかっていた。ぐいぐい来て、エッチするときも上半身裸になり「しよう」とだけいう洋二と、サワダさんの成り立ちとは東京とインドネシアくらいは違っていた。サワダさんは二人でいる時にもマキに対する感想を述べない。洋二がいつも「マキ、マキ」とか「おれ、おれ」という出だしで話し始めるのとは違って、理路整然と◯◯川の成り立ちとか××ビルの創立理由を話すかのように、自分たちの間で起こったちょっとした出来事を話す。「その中」のどこにサワダさんが存在しているのかマキはよく分からなくて、話を聞いているうちにいつもそれはずっと最後の感想を付け加える程度に現れるのだった。「でもおれはそういう事嫌いなんだけどね 笑」ああ、なんだかいいなあと思った。こういう感じがいい。楽しい時にはちょっとだけ話すのが早くなるし、黙る時は暇を感じてるか、腹が立っているか。そして今、現時点でマキに対して興味、それ以上には強い好意を抱いているのはさすがにわかっていたけれど、それが本気なのか、ただマキに付き合ってくれているだけなのか、単にちょうどいい性欲の吐きどころと見なしているだけなのかは分からなかった。
自分はそれをひとつひとつ、用心深く暴いていくような我慢強さは持ち合わせている、とマキは思う。

職場では、入社式ではじめて知り合った時特に変わらずに過ごしていた。と思う。つまり業務上必要なことだけ話して、あとは知らんふりだ。時々話し込むことはあったけど、あからさまに親しげにすることはしなかった。マキも自分達の関係のことを聞いたりするつもりはなかったし、きっとサワダのような男はそういうことを嫌がるだろうなというような直感があった。いや、違う。多分それは、バカな女とだけは思われたくなかったからだと思う。開けっぴろげな自分を喜ぶのはきっと他の、自分にべた惚れな洋二のような男くらいで、それでも長いことは持たないだろう。自分の気持ちが生半可なものではなくなるほどに、マキは意外とそういうことに対して敏感になった。だから二人きりで居るときには危うい言動をしていても、普段はなるべく知らないふりをしようと思う。そのほうがいい。それに何故か、まだ本当の自分を見せたいと思わなかった。
マキはその日、他の同僚と一緒にいて、サワダがそれを見てるのを知っていたけれど気にせずに一日を過ごした。その次の日も、次の日も同じように過ごした。マキの入社した時期に採用された社員は10人ほどいて、その中で数回しか顔を合わせることのない人も半分はいたけれど、気が合う社員もいくらかいた。その中の、ふざけるのが好きな男と廊下で話しているとき、つい会話に夢中になっていて、近くにサワダさんがいることに気がつかなかった。お笑いのネタをもじったのを繰り返す同僚を見て笑い転げていたマキは、五メートル程手前から自分を見ているサワダさんと目があった。とっさに「まずい」と思った。

マキはサワダが席から立ち上がると、とっくに作り上げていた集計表を手に取って上司の机の上に置き、それからロッカールームへ急いではしった。スマートフォンに洋二からの着信と、メールが来ていたけれどきっとまたあれ買ってこいだのこれ借りて来てだのいうお願いにきまってる。無視してもいい。不思議とそのことにマキは罪悪感は抱かなかった。自分たちのような既に確立した関係性と、サワダさんのような異次元のものとは別々に存在すべきだ、という確信めいたものがあって、「だから洋二は自分を応援すべきだし、自分の幸せを願うべきだ」とさえ思っていた。どうせ毎週エッチしてやってるんだし。
マキは息せき走ってゆき、横断歩道の手前でサワダさんに追いついた。サワダさんに声をかけると、今日はいつものように笑顔で応えてはくれなかった。マキはそれに気づかないふりをして努めて明るい声を出す。「サワダさん」

「この間借りた本読んだよ」マキは笑いながら言う。

サワダは何も応えないで、マキの話に聞こえないふりをして、腕時計を見てから信号の方を見る。マキは、どうしてサワダさんのひとつひとつの動作は自分を引きつけるんだろうと思った。それから、やっぱりサワダさんは嫉妬してるんだ、と思う。今日一日、サワダさんに対してマキが特別な声をかけなかったことと、サワダさんの目の前で他の人と仲良くしていたことに怒っているのだ。マキの中で、唐突に「勝った」というような喜びがせりあがってきた。
「サワダさん、まって」
サワダはちらとマキの方を見て、信号を渡り出す。マキはそれを小走りで追いかける。他の人だったら、きっとこんな扱いをされたら一気に冷めるだろうけれど、マキにとってそれは願ってもないことだったから、その先を知りたくて仕方なかった。
「聞こえてる?」
「聞こえてるよ」
「今日どこかへ飲みに行かない?」
「・・・・」
サワダさんは応えなかった。マキは、それを勝手にOKのことだと解釈して、スマートフォンを取り出して、以前友達がデートに使って良かったと言っていた店を探しはじめた。早くしなきゃ、と思う。早くしなきゃきっと、プライドが高く傷付きやすいサワダさんは逃げていってしまうだろう。でもきっと、マキが待っていたこの時に、自分が二人の関係上で当然のようにあるべく優しさで応えてあげたら、きっとサワダさんは一生自分のものになるだろうとその時は思った。我にかえると、自分の親指は思いの外どん欲に動いていて、即座に「みっともない」と思う。自分がそこまでサワダさんをものにしたがっていたのを、ここで知られるのは不味い。女らしくない。マキはスマートフォンをカバンの中に隠した。マキがチラと見ると、サワダさんは横目でそれを見ていた。どうしよう?どうすれば、あからさまにサワダさんをリードしてることがばれないでこのままゴールに持ち込めるんだろう。でも、マキが思ってたよりもずっとサワダさんは怒っていた。
「ねえ、なんであんなことすんの?」
「え?」
「今日一日中俺のこと無視してなかった?」
いつもは僕なのに、おれ、という。
「してないよ」
「してた」
「いつも通りだよ」
「いつも通り?」大きい声で言ったからマキはびっくりした。サワダさんはそう言ったあとで考えているようだった。マキは、思い返していた。確かに普段より話しかけなかったかもしれないし、他の人と話しすぎたかもしれないけど、でも
「そうだね。いつも通りだ。僕、どうかしてたな。」
「え?」
「なんでこんなふうに思ったんだろう。」
「ねえ、サワダさんはさあ、わたしのことがす、」
サワダさんがマキの方を見る。
「す…き?なの?もしかして?」
「すき?」
マキは頷く。「うーん」サワダは考えている。
「わかんない。」
サワダさんは前方を見たままでいう。いつもと違う、もうすぐそこにあった手の届きそうな気配は消えかけている。
「でも、すごく気になる」
サワダさんは正面をむいたままでいう。マキはパッと顔を上げてサワダさんの方を見た。
「でも好きかわかんない?嫌い?」
「うん。今日一日中、君のこと嫌いだった。だからもしも声かけてきたら、何て言ってやろうと思ってたんだ。でも君が、いつまでたっても声かけて来ないから」
「だから無視したの?」
「うん」
それって嫉妬じゃないの?と言おうとしてマキはやめた。そこまで踏み込んでいいのかどうかよくわからなかった。とりあえずもうサワダさんは怒っていなくて、自分の気持ちも落ち着いて来ていた。きっともしここで、マキが必要以上にはしゃいで「付き合おう」なんて言ったら、ここまで繋ぎ止めた気持ちは消え去ってしまうように思う。サワダの考えていることはいつも分からない。だからマキはしばらくは気付かないふりをしていようと思った。自分が望むのは一ヶ月だけ付き合える彼女でも、呼び出せばいつでも会える楽しい女友達でもなくって、サワダさんが心底話したいと思えるような、他の誰にも見せない顔を見せてもらえるような、唯一無二の存在になることだと思う。その事に対しては驚くほどに貪欲でいられた。「欲しい」と思う気持ちが自分をなりふり構わなくさせたし、そのことを止める理由なんてない。きっと皆がびっくりするだろう。洋二も、友達も、サワダさんも、マキが時にこんなに一生懸命になれることを知ったらきっと、驚くだろう。
そのために、できるだけ自分のことを、サワダさんの頭から離れさせないようにしよう。自分には、それを続けるだけの我慢強さくらいはある、と思う。

マキはサワダさんの手を繋ぐタイミングを見計らっていて、でもなんだか今日は勇気が出てくれなかった。サワダさんはまた今日知ったささやかな事件を話し続けていて、マキはそれに耳を傾ける。サワダさんの嫌いなこと、好きなこと、もうそのことをたくさん知っていて、だからどんなふうに相槌を打てば喜んでくれるのかもよく分かっていた。誰かを好きになるといつも自分は自分ではなくなっていくような感じがする。何がどうなってもいいし、自分が自分でいる必要なんてべつにないんだ、って思える。その感覚が心地よかった。なんてことない日常が、やっとあるべき姿で回り始めたんだ、と思った。毎朝、起きるたびに皆におはようって言って回りたくなるのはそんな時だ。けど、そんなマキの姿をいまのサワダさんに知られたらきっと引かれてしまうんだろうだけだろうなと思う。二人は並んで話していて、マキはとって付けたように時々惚けてみたり、叩いて見せたりする。でも本当はどうでもよくって、サワダさんが喜ぶためなら自分は何だってするんだと思う。サワダさん、サワダさん笑っていて。それで、わたしのためだけに怒って見せて。隣にいる女が、そこまで溺れていることを、この人はきっと知らない。

テーマ詠は尊い

テーマに沿って書くのは尊い、と思った。

 

ここにもちょくちょく載せている物語、短歌のような創作を始めたのは二、三年前くらいからだと思う。はじめは、ただ思いつくままに書いていた。人に見せたい思いもあったけれど、ほとんどはめちゃくちゃで自己満足の方が大きかったと思う。そうやっておもむくままに書いていた時期から、最近は「与えられたテーマ」もしくは「人が求めているだろうもの」に焦点を当てて作ることもたまにある。なんかのコンテストに応募するやつはそうである。

まあアクセス数は微々たるものだけど、テーマに沿ってやるのは面白みがあるのだ。それから尊い。それは表現活動という意味だけでなく、人間らしいことだと思う。「売れたい」「売れた」というけれど、そんまんまの自分を世間が面白がるなんてのはまれに存在するカリスマのような人だけで、実のところは「売れたい」はイコール「人のために」につながっていくのだと思った。抽象的な創作活動だけでなく商品を作るにしてもそうだ。いろんな語句を使って説明するにしても、結局先にあるのは誰かが喜んでいたりびっくりしている顔だったりする。作る時は単純に好きで、面白くてやっていると思う。でもこれを見て、誰がどう思うのかを考えながら、社会の中の自分になっていろんな視点でつくるのと、ただ発散、欲求でやるということは微妙に違っている。なんかその「テーマに合わせて自分を変えていく」面白さっていうのが今の、短歌に繋がっているのもあると思う。

ただテキトーにやっていたころを経て「テーマ詠」に挑戦してみる。そうしたら不安の先にうまく出来たことがあったりして、その上それの本意が伝わったとき、わたしはちゃんと平泳ぎ、言われた通り練習して泳げるようになったよーって周りの人に言ってしまいたくなった。そうしてはじめてそれが「仕事」になるのかもしれないと思う。いや、なってないけど。周りを見ていても、テーマ詠みの方がずっといいのに、自分のやりたいことだけ追求している人もいる。わたしは自分というもんがあまりないと思っている人間だけれど、「染まりたくない」と思うこともなかなか生き難い面もあるのだなあと三十半ばで思う。頑固、って良く描かれがちだけどさ。気付きっていうのはそういう性質のもので、簡単な事だけれどどんな機会にめぐまれていても気付かない人は一生気付かないままで朽ちていくのだろう。

 

短歌集について

短歌の本が売れないっていう話を聞いた。まあそうだろう。出す人も売れると多分思ってないで出しているとは思う。でも好きな人からしたら面白いもので、わたしは多分小説だと飽きてしまうからこっちの方が合ってるんだろうなと思う。なんていうか即効性がある。

短歌も、小説も、バンバン売りたいのだったら広告を頻繁にして作者をタレント並みに活動させて盛り上げていけばいいのだろう。けど本来なら短歌、ポエムはそういう性質のものじゃないと思う。少なくともわたしの場合はそうだ。「これは、わたしのために言ってるんだな」「なんとなくわかる」「わからないけど好き」というような、なんていうか見えない双方向の意思疎通がないとわざわざお金を出して「買う」までいかない。本は高い。でも、買ったらなかなか嫌いにはなれない。だから気に入った歌集はずっと取っておくし、何べんも読み直すだろう。そういうものを、他人が「短歌の本は売れにくい」と話していてもピンとこない。

わたしは、短歌とほか消費するエンタテイメントものを区別して見ているんだと思った。

 

良いと思った人の歌集を買って読んで、その人の生き方や連作を知る事で得るところがあると岡井隆さんは書いていたけど、多分そうで、短歌集に収録されている歌は生活にも繋がっているものが多いのでその人の人となりとかどんな生き方をしているかを知ることが出来る。小説のように思想だけでなく。だからコマ割りで見る写真集のような側面もあると思う。人によって全然切り取り方は違う。それもあたり前のようなことなんだけれど、それも多分いろいろ知れば面白さに繋がるのだと思う。

 

まずは類語辞典、辞書を買うことからだー。時間はなくてあまり触れられないけど、ずっと短歌のことは頭の片隅にある。それだけで幸せで、「好きなもの」っていうのはそういうものなんだなあと思った。

 

ぬか床

もう読める本がなくなった(暮れていくバッハは最近のものと知ってからもったいなくて読んでいない。)ので今は百人一首の本を読んでいる。百人一首は恋の歌がたしか七割近く収録されているそうで、あの時代のものだと偲ぶ恋だとか別れを惜しむ歌ばかりかなあと思ったけど歌にある背景を見つつ読んでいくとなかなか面白かった。それぞれの性格があるんですね。モテる、モテないとかそういうのも。平安時代の方が男女平等で、力さえあれば男を負かしてしまっても良いみたいな文化だったのかなあ。それに結構女の方が男を振ったりだとかで気丈である。おもしろい。

かえって現代の方が画一化されている。

 

不思議なのは「出家」が結構な頻度で出てくるところである。昔は出家するのがナウいかったのかもしれない。それに出家してからも僧が女になりすまして歌を詠むだのしたりしてはっきりいってやりたい放題である。クルッテル。平安時代クルッテルぞ。だいたい身分の高い人たち(今で言う国会議員でしょーか?!)が男女対抗の恋歌を詠む会を開いてみたり、恋愛し放題だったり(一人を愛するのはかえってダサかったらしい。)、その歌を詠み、さらにそれを他人に見せて「どうだい。」みたいな態度でいるのはかなり図太いと思う。文化だからこそ、なんだろうなあ。しかしおもしろい。返歌が上手ければ万事よし、みたいなある意味◯◯至上主義みたいな遠山の金さん的なものを日本人の血は好むんだと思う。

適当に書いた。

そういった精神世界を大切にする文化っていうのはやはり特殊である。今の世の中ではなかなかありえない。平安時代では、そういう夢から覚めないための造りみたいのがたくさんあったのかもしれない。

あとは奥村晃作さんの短歌集を読んだりなどしていたら短歌が浮かんだので書きつけたりしておりました。しかし「短歌が浮かんだので」とか普通に言ったら周りから心配されそうである。現代には短歌が浸透していない。わたしも、2年前は誰でも今すぐやれるって思ってたもんな。

将棋だったらどうだろう。将棋は良さそうだ。べつにカッコよさを求めてるわけじゃないけど、放っておいたら一人でぬか床をぐるぐるしてる奴なんじゃないかこいつは?!と思われそうなくらいようは処世術がないんである。

 色々読んでたら興奮してきて頭がカフェイン中毒症なくらいカッカしてきた。何でもかんでもやれるぞ〜!みたいになる時があって、そう言う時は本当に調子いい時もあれば、夢見てるだけの時もあってなかなかに危ない。

なんか日記の意味がわかんなくなってきた。

ようは経験は大事って事が言いたいのだと思う。

 

そういえば角田光代さんが源氏物語を現代語訳していたなー。もっと余裕が出て来たら、読んでみよう。

何も知らないままに驚きだけを書いて、知ってる人からしたら「あったりまえじゃん」になりそうである。百人一首をやってる学生は本当偉いと思う。わたしは日本の文化なんてもの全然考えずに生きてきた。

はじめての☆短歌

幼子の眉に気性が現れて血筋を知らずに笑うは獅子舞

 

「自転車」と名付けられたりミナミ区の外へ出れない楔のことを

 

汚いと人は言ったが育ちとは逃れられない呪縛でもあり

 

考えぬままに着きたり自宅いま生命維持の光放ちつ

 

 

タイトルの呪縛に逃れられないままで短歌を書いた。

良い短歌、そんなに良くない短歌と分けることはだめなことだろうか。いや、だめなことではない。「口に出してはいけない」ことだろう。何故なら、そういうことを考えずに楽しくやりたいと思っているだけのひとを傷付けるからだ。わたしはダメなら何故どこがどういう理由でダメなのか知りたい。ダメなところがわたしもダメだと思うなら直してまたやりたいと思う。

岡井隆の短歌入門の後で穂村弘のはじめての短歌を読み終えた。入門書ということで、この間読んだ「短歌の友人」に書いてあったことを分かりやすく話し言葉で書いてある感じだった。

繰り返し書かれていたことは「生きること」と「生き延びること」の違いについて。短歌に書き表すのは「生き延びること」についての事柄である。

前も書いたかもしれないけど、「生き伸びること」、というのは社会の仕組みに組み込まれて役割を負い、仕事をするために分別を付けて生きている状態のことらしい。んで、だから価値基準というのは効率、利便性、資本主義だったりする。でもそれは、歌にはならない。歌になるのは「生きること」の方で、それはただひとつの生命体として、この世界に置かれた一つの個性をもって感受性を全うするということだと思う。そういう目を持っているのは分かりやすく言えば子どもだと思う。彼らはまだ社会に染まっていなくて、いつも夢を見ている。分別もなく、泣いたり笑ったり、かと思えば怒ったりする。勝手に。大人はそういう自分を押し込めて、社会の流れに沿って行動していかなければならない。そういうときに、置き去りにされがちな自分の感受性を、短歌の形、それから詩という働きによって表現する。

これは、個人の深いところを外へ出すということだと思う。はっきり言えば恥ずかしく、やわだ。「なんてことを」な事もあると思う。けれど、わたしは思うけど、そうであるほど(冷めた目も持ち合わせていて欲しいところだが)にはっきり言って面白いのだ。ていうか、そこを書き表さなくてどうすると思う。生きている瞬間、ていうのはそこにあると思う。誰も見ていない時、見ていられないほどに泣いた後、まあそういう、恥ずかしい行いのなかに素の自分がいたりする。

他の場所でも書いたけれど、自分のを書いている時にも面白みがあるけど、他人の良いものを見た時にも自分にはいろんな影響があると思う。

まあ面白くないのもありますが。

 

自分が良いなあと思う短歌をいろいろ探して読んでみたいと思う。岡井隆さんは斎藤茂吉が好きみたいなんだけどわたしはぴんとこなかった。相性みたいのあるんだろうか。でも良いと思う歌集は高かったりしてびっくりした。勉強にはお金がかかるのである。いま、お金があまりないので手元にある百人一首読もうかと考えたりしている。

昔の人のはちゃんと決まりを守って作っているみたいなので参考になりそうだ。「良いなあ」と思いつつも何故良いと思ってるのかわからなかったりするんだけど、そういうのはまあまず、会話文とか普通の文章形式にはなっていない。

今はこんな感じだ。